【速報】箱根登山鉄道の最後の「吊り掛け式車両」が引退へ!



皆様こんばんは、「てつきち」です。このページもようやくペースが掴めたのか、定期的に書くことが出来る様になりました。

今日の話題は、神奈川県の箱根登山鉄道から。箱根湯本までは小田急の車両が走っていますが、箱根湯本から先は線路の幅も電圧も違うので、専用の登山電車になります。古くから活躍してきた登山電車も最近では世代交代が進んでおりますが、今年2019年(令和元年)夏ごろには、箱根登山鉄道最後の「吊り掛け式モーター」車である103=107号編成、通称「サンナナ編成」(右の方の編成)が引退になるそうです。

今年1月2日、母校の箱根駅伝応援の帰り、強羅駅でこの「サンナナ編成」に遭遇しましたこれは乗らねば!と電車1本遅らせて乗車することにしました。

その「サンナナ編成」が、強羅駅に入線してくる所を動画で撮影してみました。

乗車すると、パンタグラフの下である運転台後ろの席を早速キープ。この強羅駅から箱根湯本駅まで、吊り掛け式モーターの力強い音に癒されて帰ろうと思います!

時代を感じさせる運転台です。今のハイテクな電車とは違い、運転士さんの運転技術とテクニックが物をいう運転台です。

列車は2両固定編成となっています。ただ連結面の通路は非常時用のみとなっており、一般の乗客は行き来出来ないようになっています。

運転台右手にあるハンドブレーキです。これまた時代を感じさせてくれますね!

強羅駅を発車し、力強い吊り掛けモーターの音を響かせて「サンナナ編成」は箱根の山を下っていきます。

ハンドブレーキ越しに撮影してみました。次は大平台、スイッチバック駅です。反対側のホームでは、強羅行きの「ベルニナ」号が発車をまっていました。

強羅駅から箱根湯本駅までの間には、3回のスイッチバックが続きます。そして塔ノ沢駅では、「金太郎」の腹掛け塗装となっている108号車とすれ違いました。

箱根湯本駅に到着した、「サンナナ編成」です。この後も強羅へ向けて、慌ただしく走っていきました。

その「サンナナ編成」発車シーンを、動画で是非どうぞ!

この「サンナナ編成」の引退という事で、夏ぐらいには様々なイベントが開催されるそうです。詳しくは箱根登山鉄道ホームページをご参照ください。

【鉄な壁画】小田急線・下北沢駅に箱根への旅情を感じさせる壁画登場!



皆様こんばんは、「てつきち」です。本日の話題は、小田急線下北沢駅から。この駅は、京王電鉄井の頭線との接続駅で、戦前は帝都線(現在の井の頭線の前身)が小田急の路線だったことから、改札なしで乗り換えが出来ましたが、今年の3月に中間の改札口が登場し、井の頭線から小田急線に乗り換える際には一旦改札を出る様になりました。

その改札口新設と同時に、この様な素晴らしい壁画が登場しました!ここには栄光の特急ロマンスカー3000形「SE」車が、原形のままいます。この作品は洋画家・宮永岳彦画伯の世界をそのままレリーフにしたもので、昭和30年代初頭の箱根への観光ポスターをモチーフにしたそうです。ちなみに、特急ロマンスカー3000形「SE」車のカラーデザインを考案したのも、宮永画伯でした。

まずは右側の特急ロマンスカー3000形「SE」車の部分から。今でも十分通用するこのデザイン、当時としては度肝を抜かれる様なデザインでした。と同時にこれは、「小田急ロマンスカー、ここにあり!」という大きな存在感をも植え付けさせてくれたと言っても過言ではないでしょう。

壁画の中央にある、男女のロマンス部分です。二人で仲良く箱根へ、というイメージが伝わってきます。独特のミュージックホーンを鳴らし、8両の連接車体で箱根へと高速で向かう3000形「SE」車。二人より添って、車内で味わう日東紅茶の味はまた格別だった事でしょう。

一番左は、箱根へ向かう3000形「SE」車と、箱根ロープウェイが描かれています。1959年(昭和34年)12月、早雲山駅から大涌谷駅までが部分開業し、翌1960年(昭和35年)9月には桃源台駅まで全線開通。これに伴い、箱根の観光名所を乗り物で一周する通称「箱根ゴールデンコース」が全線開業しました。

この時CMソングで使われていたのが、三木鶏郎作詞・作曲で、ザ・ピーナッツとボニージャックスが歌っていた「小田急ピポーの電車」という曲です。3000形「SE」車が花型特急車として走っていた全盛期を思い出させてくれる曲ですね。今の「ロマンスをもう一度」も悪くはないですが、やはり「小田急ロマンスカー」というと、この歌の方がしっくりくるような気がします。

下北沢駅ご来訪の折にはこの壁画、是非チェックしてみてください!

【鉄道廃線跡】加越能鉄道加越線・旧井波駅跡にて



皆様、こんばんは。「てつきち」です。今日は鉄道廃線跡で見かけた、珍しい物をご紹介します。

富山県を走っていた、加越能鉄道加越線。北陸本線(現・あいの風とやま鉄道)の石動駅から庄川町駅までを走っていた鉄道線で、1972年(昭和47年)に廃止されました。その内、欄間彫刻で知られた井波の駅舎は、特徴ある造りで今でも地元の物産館として現存しています。

登録有形文化財にも指定されたこの駅舎、現役当時から少し東側に移設されましたが、その面影を十分残しています。

駅舎の反対側へ回ってみました。かつてはここに改札口があったようです。今にもキハ(ディーゼルカー)のエンジン音が聞こえてきそうですね。

そんな駅舎のすぐ隣の自転車置き場の所に、欄間彫刻の町・井波に相応しい鉄道のレリーフが残っていました!そのレリーフを1つ1つご紹介していきたいと思います。

まずは、キハ187号車。1964年(昭和39年)に製造された、加越線では最後の新車でした。加越線廃止後は茨城県の関東鉄道へ移籍し、常総線のキハ721号車として片運転台化やドアの変更などの改造を経て、1989年(平成元年)まで使用されました。

続いて、キハ162号車。1936年(昭和11年)製造で、国鉄から滋賀県の江若鉄道を経て加越能鉄道に移籍した車両です。加越線内では唯一のクロスシート車でしたが、余りにも椅子の幅が狭かったため「お猿の電車」などという、余り有り難くないあだ名まで付けられていた程です。加越線廃止後は茨城県の関東鉄道へ移籍し、常総線のキハ551号車として片運転台化や座席のロングシート化、中間ドアの両開き改造などを経て、1988年(昭和63年)まで使用されていました。

続いてはキハ173号車。こちらは1952年(昭和27年)製造の元・国鉄キハ07形で、同じキハ07形出身のキハ162が貫通化改造されていたのに対し、原形を保ったままで使用されていました。加越線廃止後は茨城県の関東鉄道へ移籍し、常総線のキハ707号車として前面の大改造や片運転台化を行い、1988年(昭和63年)まで使用されていました。

キハ126号車です。1957年(昭和32年)に庄川町車庫が火事に遭い、キハ2両が焼失したためその代替車としてキハ125、126の2両が投入されました。東急車輛製で、同時期に製造された東武鉄道熊谷線のキハ2000系とは兄弟車に当たります。違いは、東武キハ2000系がセミクロスシートなのに対して、このキハ125、126はロングシートであるという点です。

昨日の「かしてつバス」の話題でも少し触れさせていただきましたが、加越線廃止後は茨城県の関東鉄道へ移籍し、鉾田線のキハ431、432号車として活躍しました。この写真で左に見えているのが、キハ431とキハ432の2両です。1979年(昭和54年)に鉾田線が「鹿島鉄道」として分社された後も活躍を続け、途中に塗装の変更やワンマン化などの改造を受けましたが、2007年(平成19年)3月31日の鹿島鉄道線廃止の日まで活躍を続けました。

廃止後のキハ431(加越線時代のキハ125)です。廃止後は暫く、旧・鉾田駅跡に留置されていましたが後に移動され、現在では小美玉市某所にある「鹿島鉄道記念館」(通常は非公開)にて保存、整備されています。

廃止後のキハ432(加越線時代のキハ126)です。廃止後は、小美玉市の「小川南病院」に引き取られ、現在では同病院の老人福祉施設の一部として使用されています。(撮影に当たりましては、事前に病院側の許可を取った上で撮影いたしております)このキハを撮影していた時、施設の窓から利用者様がこちらに向かって手を振っていたのが印象的でした。

加越線で活躍していたディーゼル機関車・DL101号機です。貨物列車の他、お正月には国鉄城端線を経由して高瀬神社へ初詣列車として乗り入れてくる国鉄客車を牽引した、という記録もあります。

加越線開業当時に走っていた、1号蒸気機関車です。

この様に、欄間彫刻の町に相応しい素敵なレリーフが残っていたということからも、地元の人がそれだけ加越能鉄道加越線を愛していた、ということがうかがえます。またこの井波駅舎では、毎週日曜日の11:00~18:00にカフェもオープンし、香り高い珈琲とスイーツを味わう事も出来るようになりました。

お近くを御通りの際には、是非お立ち寄りになられてみてはいかがでしょうか?

【バスの旅】鉄道廃線跡を行く「かしてつバス」



皆様、こんばんは。「てつきち」です。今日もバスの話題を一つ。

先日、茨城県の鉾田へ行く用があり、石岡駅から関鉄グリーンバスの路線バスで行ってきました。一見、普通のバスに見えますがこのバス、普通のバスではないのです。

この通称「かしてつバス」は、BRTBus Rail Traisitの略)といい、専用道路を走る路線バスなのです。しかもそのバス専用道路とは、2007年(平成19年)3月31日に惜しくも廃止になった鹿島鉄道線(石岡駅~鉾田駅間)の石岡駅から四箇村駅の間の線路跡が活用されているのです。

既に更地になった、石岡機関区の跡です。この始発駅・石岡駅にはかつて機関区があり、鹿島鉄道のキハ(ディーゼルカー)達の基地となっていました。

1985年(昭和60年)、私「てつきち」が中一の時に撮影した石岡機関区です。この頃は、詰所で名前と連絡先さえ書けば自由に構内の撮影が許されていました。右側にいるのは、夕張鉄道からやってきた道産子・キハ714です。現在は、小美玉市某所にある「鹿島鉄道記念館」(通常は非公開)にて保存しています。左側にいるのは、富山県の加越能鉄道からやってきたキハ431と432です。こちらは東急車輛製で、東武鉄道熊谷線キハ2000系とは兄弟車に当たります。

駅のコンコースから見た、バス専用道路です。かつての線路跡を整備し、一直線の道路になっています。駅から分岐していくレイアウトは、かつてこの地に列車が走っていたことを象徴しているかのようです。

それでは発車します。普通のバスと同様に、停留所に停まっていきますが、鉄道時代に比べてバス停が増えているので、以前より利便性は整ったと言えましょうか。

一般道との交差点です。バスが通過する時には、専用道路側の遮断機が上がり、バスが通行できるようになっています。一般車両は通行できないので、バスの速度も出て快適に走っています。

2008年(平成20年)に撮影した、上の画像の辺りの線路跡です。線路が剥がされた他は、鉄道時代の面影をしのばせてくれます。この時は「鹿島鉄道記念館」の特別公開があり、その帰りに旧・東田中駅跡から旧・石岡駅跡まで廃線跡を歩いてきました。

同じく2008年(平成20年)に撮影した、旧・石岡南台駅跡です。こちらは鹿島鉄道の中では一番新しい駅で、駅近くに住宅が集中していたことから新設された駅でした。

現在の旧・石岡南台駅跡です。ホームも跨線橋もそのままに残っていますね。ただ、鉄道時代のホームですと、バスのステップの高さには合わないので、現在は鉄道時代のプラットホームは閉鎖されています。

桜の木で知られた、旧・東田中駅の所ですれ違うバスです。この鹿島鉄道線は全線単線でつくられていたため線路敷地が狭く、随所随所にこの様な「行き違い設備」が設けられています。すれ違う時は、バスも一時停止して待機します。

2008年(平成20年)に撮影した、旧・東田中駅です。この辺りは、廃線から1年後でもまだ、線路が残っていました。

2008年(平成20年)に撮影した、旧・玉里駅です。ここには工業団地があることから通勤需要も多く、朝夕を主体に石岡~玉里間の区間列車も設定されていた程でした。

旧・新高浜駅と旧・四箇村駅の間に設けられた行き違い施設で、バス同士の行き違いです。この「鹿島鉄道代行バス」は、鉄道線廃止から数年間は、線路沿いの国道を走っていました。しかしその道路の渋滞がかえって慢性化し、定時運行が困難な状態になりました。

また同時に自衛隊の百里基地の一部を活用して開港した茨城空港へのアクセス手段としても視野に入れる様になり、旧廃線跡の一部を整備。そして2010年(平成22年)に、この専用道の開通によって「かしてつバス」も、この道を走るようになりました。現在では、石岡駅から鉾田駅・新鉾田駅を結ぶ路線バス、石岡駅から小川駅を結ぶバス、石岡駅から茨城空港を結ぶバスが、このBRTBus Rail Traisitの略)として走っているのです。

旧・四箇村駅跡辺りで専用道路から一般道路へと入りましたが、全線一般道路を走っていた頃に比べて時間は大幅に短縮されました。これからの活躍に益々期待が出来る路線です。茨城空港アクセスの際には、是非いかがでしょうか?

【高速バス】東名ハイウェイバスで「アストロメガ」初乗車!



皆様、こんばんは。「てつきち」です。長い事、更新をサボっていて申し訳ありません。この間にも様々な乗り物に乗ってきました。

3月に名古屋に行った時は、新しく投入されたヨーロッパ製の二階建バス「アストロメガ」に遂に乗車しましたので、そのリポートをお届けしたいと思います。

今回、名古屋からの帰りに選んだのが「新東名スーパーライナー22号」。新東名高速道路経由の超特急便で、名古屋駅を出ると休憩箇所である遠州森町PA、足柄SAに停車する以外は、霞ヶ関、東京駅にしか停車しません。果たして、どんなバスなのでしょうか?楽しみですね!

こちらは2階席です。定員確保のために4列シートですが、従来の座席よりゆったりとしているのが新車である証明と言えましょうか。他社では、東京駅鍜治橋駐車場と成田空港を結ぶ京成バス「有楽町シャトル」、東京駅鍜治橋駐車場と大阪、神戸を結ぶジャムジャムエクスプレスなどで使用されていますが、その輸送力の大きさがどの路線でも重宝されているようです。また1階席には車椅子スペースも設けられ、バリアフリーにも対応しています。

先頭部からの風景です。このバスの高さは、今までのエアロキングなどよりも高く造られているため、眺めもまた良いものです。先頭部には、非常時に乗務員席と連絡の取れるインターホンも取り付けられています。

こちらが「アストロメガ」の座席です。黒塗りで座り心地も良く、リクライニングも従来に比べて倒れる様になっています。勿論、USBジャックも前の座席の下に2席分用意されています。スマホ社会の今では、各座席のUSBジャックやコンセントも標準装備の時代ですよね!

16:30の定刻に名古屋駅を出発し、一路東京までの旅に出発します。最近では「新幹線」という乗り物に全く関心がなく、東京から名古屋まで移動する際も、普通電車の乗り継ぎや高速バス利用がメインとなりました。

1時間半ぐらい走った遠州森町PAで15分の休憩。休憩の時間が短かったので、売店は覗く程度でしたが、地場産品などの品ぞろえは結構よかったです。今度はそれ目的で来てみたいな。

ここで渋滞情報をキャッチ。東名高速道路ではお馴染みの「東名綾瀬バス停を先頭に30km」という、まぁいつものパターンの渋滞でした。果たしてこのバスは無事に東京へと着けるのでしょうか?

日もとっぷり暮れた足柄SAで二度目の休憩。ここでは売店やフードコートが閉店寸前だったこともあって、多くの乗客が食料の調達に向かっていました。

夜の足柄SAです。ここはレストランの他、宿泊できる仮眠施設まであります。これは見逃せませんね!

足柄SAを出ると、段々と車の流れは鈍くなってきました。いよいよ渋滞区間突入です。ここでイライラしても、到着時刻が遅れるのは不可避。のんびり行くことにしました。特に小田原厚木道路が合流してくる厚木IC辺りは、もうノロノロ状態。休憩を避けて海老名SAへ逃げる車の行列がずっと伸びていました。

東名高速上り線の渋滞は、大和トンネルを出るとほぼ緩和され、あとは順調でした。しかしこの時点で約30分遅れ状態です。
そこで用賀PAで「便宜下車」をする事にしました。

用賀PAでの「アストロメガ」です。東名高速を東京方向に向かって走る昼行の高速バスは、便宜的にこの用賀PAで下車する事が出来ます。但し、道路の渋滞状況やパーキングエリアの混雑状況ではできない場合もあるそうです。また、荷物をトランクルームに預けて、それが容易に出せない場合も下車出来ないとの事です。そのため、用賀PAで下車するかもしれない、という場合は乗車の際に予め乗務員さんにその旨伝えておくことをお勧めします。

用賀PAのバス停看板です。バスを下車した乗客は、エレベーターで地上へ降り、東急田園都市線の用賀駅まで歩きます。ちなみに徒歩で5分弱です。

この「アストロメガ」は、5月17日から東京・新宿~京阪神線にも投入されるそうです。ドル箱路線で需要もありますからピッタリですね!

ちなみに京阪神路線で「アストロメガ」が使用される便は以下の通りです。
【東京から京阪神】
<昼行便>
*青春昼特急11号(東京駅八重洲南口11:10発)

<夜行便>
*青春エコドリーム23号(東京ディズニーランド21:45発、東京駅八重洲南口22:30発)

*青春エコドリーム37号新木場駅23:00発、東京駅八重洲南口23:40発)

【京阪神から東京】
<昼行便>
*青春昼特急12号(大阪駅11:10発)

<夜行便>
*青春エコドリーム18号(大阪駅22:20発)

*青春エコドリーム32号(天王寺22:20発、JRなんば22:50発、大阪駅23:20発)