【お詫び】しばらくお休みいたします。

皆様、こんばんは。「てつきち」です。いつもご愛読ありがとうございます。

さて本ページは毎週月曜日と木曜日に更新する、と先日ご案内いたしましたが、7月から仕事の量が増え、撮影した画像や動画の編集もままならない程の忙しさになっています。

そのため、このページは少しの間、お休みをいただきたいと思います。個人的な事情で大変申し訳ございませんが、どうぞよろしくお願いいたします。再開の折には、また多くの乗り物の話題をお届けしたいと思います。

尚、個人ブログである「みゃあみゃあのトーク&トーク」(https://plaza.rakuten.co.jp/myamyaspace/)は、平常通り毎日更新してまいりますので、是非お楽しみに!

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【懐かしの画像から】のと鉄道のジョイフルトレイン「のと恋路号」

皆様おはようございます、「てつきち」です。いかがお過ごしでしょうか?

ちょっと遅れてしまいましたが、今日は懐かしの画像から1枚。石川県はのと鉄道で、NT800形気動車「のと恋路号」の画像がありましたので、ご紹介したいと思います。

このNT800形車両は、1988年(昭和63年)の能登線第三セクター化の際、観光列車として登場したものです。車内には展望が楽しめる展望室やラウンジ、サービスカウンター、自動販売機などがあり、専属の列車アテンダントさんも乗務して、観光急行「のと恋路号」として走っていました。

2002年(平成14年)に観光急行「のと恋路号」の定期運用が廃止となると、団体列車用として稼働していましたが、2005年(平成17年)に能登線が廃止となると運用を失い、廃車となりました。

ちなみにこの画像は、1998年(平成10年)に九十九湾小木駅で撮影したものです。この時からもう、22年経つのですね。

こちらも同じ時期に能登半島を旅した時に撮影したものです。この頃はのと鉄道も、輪島や蛸島までの路線があり、この写真の様なお座敷列車が走っていました。

今は路線縮小でこれらの車両も思い出の彼方に行ってしまいました。古い写真をスキャンしていると、その時々の思い出がふと蘇ってくることがあります。また能登の地を訪れ、懐かしい車両たちに再会できる日が早く来て欲しいものです。本当に、写真は一期一会ですね!

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【今までありがとう!】東海汽船「さるびあ丸」の世代交代の儀式!(動画にて)

皆様こんばんは、「てつきち」です。毎週月曜日は「てつきちの日」。今週も乗り物の話題をお届けしたいと思います。

さて先日、東海汽船の「二代目さるびあ丸」が神津島航路の最終日を迎えた、という話題をお届けいたしましたが、この6月25日で八丈島航路からも引退。そしてこの日に限り、二代目と三代目の「さるびあ丸」が並んで、竹芝桟橋を出航するという見逃せない情報が!

これは見逃せないと思い、仕事先からカメラを持って竹芝桟橋へと向かいました。

その模様は動画にまとめてみましたので、動画を是非ご覧ください。

22時過ぎには、僚船の「橘丸」もやってきて見送りです。22時25分に出航を知らせるドラの音が響き、22時半の定刻に二代目「さるびあ丸」は八丈島へ、三代目「さるびあ丸」は神津島へと出航していきました。出航が夜間だったからかもしれませんが、汽笛は鳴らずに寂しい出航でした。しかし竹芝桟橋のボードウォークの所には多くの人たちが二代目「さるびあ丸」の栄誉を称え、これから活躍する三代目「さるびあ丸」にエールを送っていました。

竹芝桟橋を出た船は、程なくしてレインボーブリッジをくぐります。その際も二代目「さるびあ丸」が三代目「さるびあ丸」を先導するかの様に進んでいました。この「世代交代の儀式」をカメラや動画におさめようと、ボードウォークの先端は多くの人で鈴なりに!

でも人々は皆大人で、譲り合って撮影していました。これを鉄道の撮影で「罵声大会」を開催している連中に見せてやりたい思いでした。一部のマナーの悪い鉄道ヲタクのせいで、他の「良識ある鉄道ファン」が偏見視される今日。せめて、先ずは自分自身からマナーを守り、譲り合う余裕の出来る鉄道ファン、いや乗り物ファンでありたいと強く思います。

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【乗車体験記】日比谷線「THライナー」乗りました!

皆様、おはようございます。「てつきち」です。毎週月曜日と木曜日は「てつきちの日」として、週に2回更新してきましたが、最近職務多忙により、週2回の更新が厳しい状況となりました。

そこで落ち着くまでの当面の間、毎週月曜日のみの更新とさせていただきます。

先日、運転を開始した東京メトロ日比谷線と東武スカイツリーラインを直通する通勤ライナー「THライナー」。早速、仕事帰りに霞ヶ関から久喜まで乗ってきました。

霞ヶ関駅は2分に1本電車が来る、超過密ダイヤ。そのためスマホで写真を撮り、ダイジェストとして動画に編集いたしましたので、是非ご覧ください。

座席は各座席の下にコンセント完備で、ゆったりしていました。車内Wi-Fiも完備していて、車内でのスマホでの調べものにも便利です。

最後の停車駅・上野駅を出ると、次の客扱い駅は新越谷駅。その間、乗務員交代として北千住駅に運転停車します。西新井までは各駅停車(日比谷線直通線)を走り、その先は急行線(通過線)を突っ走るという変わった線路の利用をしています。

新越谷からは、せんげん台、春日部、東武動物公園、久喜の各駅に停まります。尚、いずれも降車専用駅で「東武線区間のみの利用」は出来ない様になっています。

こうなると今度は、東上線系統の「TJライナー」と乗り比べもしてみたくなりました。

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【懐かしの1枚!】近鉄特急12200系「スナックカー」

皆様、おはようございます。「てつきち」です。いかがお過ごしでしょうか?毎週月曜日と木曜日は「てつきちの日」でしたが、昨日は取材のためお休みをいただき、今朝お送りいたします。

さて本日も、懐かしの画像から1枚。今日の1枚は、1988年(昭和63年)に中学の修学旅行で伊勢・奈良・京都を旅した時、近鉄名古屋から宇治山田まで乗った近鉄特急12200系「スナックカー」の写真です。

この時乗車したのが、近鉄名古屋11:10発の特急鳥羽行き。途中主要駅停車のいわゆる「乙特急」でした。当時の近鉄名古屋駅発の近鉄特急は、毎時00分が大阪難波行きのいわゆる「名阪ノンストップ特急(甲特急)」、10分と45分が鳥羽行きの「名伊乙特急」、25分が賢島行きの「名伊甲特急(宇治山田までノンストップ)、30分が大阪上本町もしくは難波行きの「名阪乙特急」でした。

この頃の近鉄特急では、オルゴール式チャイムが鳴ると同時にスチュワーデス(車内販売員)さんが、熱いおしぼりを各座席に配っていたものでした。今回の鳥羽行き特急でも、名古屋駅を出て地上線に出た時、ちゃんと熱いおしぼりが各座席に配られていました。

この「熱いおしぼりサービス」も、合理化のためいつしか無くなってしまったのは残念な話です。

ではこの12200系「スナックカー」とは、どんな車両なのでしょうか?
その初期車である12000系は1967年(昭和42年)に、名阪特急用として製造されました。この当時、近鉄特急の「名阪ノンストップ特急」は、開通したばかりの東海道新幹線に乗客を取られて苦戦していました。

そのため車内で快適なサービスを、という事で座席はグリーン車並みのリクライニングシートを採用、モ12000形の運転台後部には電子レンジを装備したスナックコーナーが設けられました。ここではカレーライスや中華ランチなどの軽食を電子レンジで調理して、各座席へシートサービスするものでした。担当が名古屋都ホテル(現在はありません)担当だったので、「みやこコーナー」の別名もありました。

このスナックコーナーは好評で、1969年(昭和44年)には増備車の12200系と、車両限界の関係で大型車が入線できなかった京都線系統専用の18400系が登場しました。京都線系統専用の18400系は従来の「スナックカー」より小さめに造られていたので「ミニスナックカー」の別名もありました。この「ミニスナックカー」は、乗車時間の長かった京都~賢島特急で使用されていました。

12200系「スナックカー」は、12000系よりスナックコーナーが大きくなり、近鉄特急の顔となりました。そして「名阪ノンストップ特急」で重点的に使用するため、10100系「二代目ビスタカー」の中間車1階部分にも小さなスナックコーナーが増設されました。

しかし華やかな時代は長くは続かず、「名阪ノンストップ特急」の利用者は落ち込むばかり。遂にはスナックコーナーは営業休止になり、スナックカウンターを撤去した車両もあった程です。

現在では、伊勢への観光特急「しまかぜ」でカフェ営業があり、本格的な食堂車の様な感じになっていますが、その元祖はこの「スナックカー」であったと言えます。