【バスツアーのファーストクラス!】はとバスの「ピアニッシモⅢ」でオリエント急行ランチ!


皆様、こんばんは。「てつきち」です。昨年の年末、はとバスの中でもファーストクラスのバスである「ピアニッシモⅢ」に乗り、箱根へのツアーに行って来ました。

新宿駅東口で発車を待つ、はとバス「ピアニッシモⅢ」です。このバス使用の新宿発のツアーは従来の新宿駅西口ではなく、はとバスの案内所のある東口からの発車となっています。バスの定員はわずか24名で、勿論化粧室付き。また「静かな大人の時間を大切にする」ということで、12歳以下のお子様の乗車、10名様以上のグループの乗車、車内での宴会並びに過度の飲酒は一切ダメ、という厳格なルールがあります。果たしてどんなツアーになるのでしょうか?

はとバス「ピアニッシモⅢ」は新宿駅東口を出発してすぐ首都高速に入ります。前方には富士山が見えました。今日の旅、とても期待できそうですね!指定された座席が前から2番目の1人掛席だったので、バッチリと撮影出来ました。

バスが東名高速道路に入った辺りで、ドリンクのシートサービスです。私はホットコーヒーをオーダー。お茶請けにはフィナンシェが付きました。

「ピアニッシモⅢ」のドリンクサービスメニューです。冬シーズンは全てホットドリンクで、コーヒー、紅茶、緑茶、コーンスープの中からチョイスできます。一般のはとバスのツアーですと緑茶だけですが、今回ははとバスの中でもファーストクラスの「ピアニッシモⅢ」。ドリンクサービスからして違いますね!

厚木ICで東名高速道路と分かれ、小田原厚木道路へ。ここで見事な富士山を見る事が出来ました。この先の平塚パーキングエリアで休憩だそうです。

平塚パーキングエリアでの「ピアニッシモⅢ」です。ベースはいすゞガーラで、普通なら正席45名、補助席8名の53人乗りにする大きさのバスを後部に広い化粧室を設置し、シートピッチも広げた定員僅か24名、という超デラックス車にしたものです。

今回のツアーステッカーです。オリエント急行でのランチが、今回のツアーの最大のお目当て。自然と胸が高まります。

小田原厚木道路から箱根新道へと入り、芦ノ湖の湖畔へ。毎年1月2日の風物詩である「箱根駅伝」のゴールである箱根町を過ぎ、最初の下車地・箱根神社へ。

箱根神社の御神水です。初穂料200円でペットボトルも授与され、この御神水を持ち帰ることも出来ます。僅かな時間ではありましたが、ちゃんとお詣りしてきました。

芦ノ湖に浮かぶ箱根神社の鳥居です。ここの風景は「インスタ映え」するらしく、多くの観光客が記念写真をスマホで撮影していました。大半は中国からのインバウンド旅行者がメインで、彼らにとってこの風景はきっと素晴らしい風景だったのかもしれませんね。ちなみに元箱根港の近くからですと、この「芦ノ湖に浮かぶ鳥居」と芦ノ湖、富士山を絡めた写真を撮ることが可能です。特に冬ですと、白く雪化粧した富士山が最高の絵を見せてくれます!

箱根神社を後にして、芦ノ湖の湖岸を「ピアニッシモⅢ」はゆっくりと走っていきます。桃源台からススキの高原を見て仙石原へ。次の目的地である「箱根ラリック美術館」は、この仙石原地区にあるのです。

今回のツアーのメインは、その「箱根ラリック美術館」に保存されている「オリエント急行」のプルマン車の中で「今回のツアー限定のスペシャルランチ」を楽しむというもので、お値段もそれなりにしましたが、滅多に味わえないチャンスでしたので、思い切って申し込みました。

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こちらが、その保存されている「オリエント急行」のプルマン車(車両番号4158号車)です。1929年(昭和4年)の製造で、当初はパリとニースなどフランス南部を結ぶ「コート・ダジュール特急」として使用されていました。その後、この特急列車は廃止され、車両も一時休車になりました。

後に「オリエント急行」のサロンカーとして復活し、多くの豪華な夢を運んできました。1976年(昭和51年)からは「NIOE」(Nostalgie Istanbul Orient Express)としてパリ~イスタンブール間で長らく活躍を続け、1988年(昭和63年)には「パリ発香港経由日本行き」の列車として、日本国内の線路を走ったこともあります。この4158号車も、何と日本の線路を走った車両のうちの1両なのです!

香港からは貨物船に載せられて、山口県の下松へ上陸。ここにある日立製作所の車両工場で、台車をヨーロッパ仕様の広軌用台車から日本仕様の狭軌用台車(1,067mm)に履き替え、日本国内で「ツアー列車」として、北は北海道から南は九州まで国内各所を走りました。ツアー自体は高価格帯にも関わらず、倍率は90倍近くにもなりました。その人気は今の「ななつ星」「四季島」「Twilight Express瑞風」など比較にならないほどの人気だったといいます。

またJR東日本ではこの「オリエント急行」を牽引させるために、わざわざ蒸気機関車「D51-498号機(通称:デゴイチ)を現役復活させたほどの力の入れようでした。「D51-498号機」は上野から大宮までの区間ではありましたが、炭水車にオリエント急行のロゴを付け、力強く走り切りました。

後に「NIOE」(Nostalgie Istanbul Orient Express)が運行を休止するとこの車両も用途を失いましたが、縁あってその後この箱根の地にやってきて、現在では当日予約制のカフェとして営業しています。車内の各所には、ラリックが仕掛けた模様などが残されており、スタッフの方が解説してくれます。

それでは、今回のツアーのスペシャルランチのスタートです!

まずは前菜の盛り合わせから。上から時計回りに「ホタテと天使エビと旬菜のテリーヌ」「ズワイガニのタルタル 柚子の香り」「山麓豚のパテ ビーツのソース」です。一つ一つの素材に力を入れ、見た目も良くして楽しませてくれます。

スープは、カボチャのポタージュです。かなり濃厚な味わいで、パンのおかわりをしたくなる程です。事実、パンをおかわりしてこのスープ皿を拭い、最後まで味わいました!

今回のメインディッシュ「和牛リブロースステーキ トリュフが香るソースヴァンルージュ」。お肉がとても柔らかかったです!ソースの味も最高で、これもパンをお代わりして、ソースを全部拭って食べた程です。ちなみに西洋料理では「ソースを残す」という行為は、「料理人に対して一番失礼な行為」だと言われています。

デザート「りんごのキャラメリゼのズゴット(ムース)です。食後のコーヒーと共に、じっくりと味わいました。食後には、案内人付きで美術館を見学。改めて、このラリックの功績の大きさを感じました。

ミュージアムショップでは、この保存車・4158号車のNゲージ鉄道模型を売っていました。値段も手頃だったので、私も購入。これをブルートレインや「青大将つばめ号」などの編成に挟み込んだら、どんなに素敵だろうな、と一人空想してしまいました。もしもブルートレインの中間車にこのプルマン車を連結した列車が実際に走ったら、きっと寝台券は瞬殺で完売でしょうね!

早めに駐車場へと戻り、今回の「ピアニッシモⅢ」をじっくりと観察してみることにしました。車内には2人掛けと1人掛けのリクライニングシートが8列並んでいます。今回のツアーは総勢12名のようです。

2人掛けのシートです。リクライニングの角度も従来のバスに比べて深く、レッグレストも備え付けられています。また、今のバスでは標準装備となったスマホ用のコンセントも設置されていました。

1人掛けシートです。向かって右側はこの様な感じになっています。使い捨てのスリッパや、車内用のひざ掛けの貸し出しもあるという、飛行機のビジネスクラス並みのサービスです。

シートに取り付けられている、ハトのエンブレムです。このエンブレムが、他のはとバスとは一線を画したデラックスさを物語っているかのようです。

後部化粧室前にある、サービスコーナーです。ここにはコーヒーマシンがあり、本格的なコーヒーを車内で味わえるようになっています。

やがて他のツアー客も三々五々戻ってきて、最後の目的地である御殿場高原「時之栖」へと向かいます。

御殿場高原「時之栖」では、冬の風物詩となりましたイルミネーションを見学しました。ここを出ると、あとは東名高速道路をひた走って東京へ向かうのみです。東名高速道路へ入ると再びドリンクサービスがありました。ここでもコーヒーをオーダー。

この「ピアニッシモⅢ」では復路の車内に限り、飛行機の様なオーディオサービスがあります。各座席にイヤホンジャックが付いているのではなく、希望者のみガイドさんから専用の端末を借りて、座席で楽しむのだそうです。バス前方のモニターから流れているビデオの音声も、この専用端末で聞くので静かな車内でした。

最後の休憩地・海老名サービスエリアでの「ピアニッシモⅢ」です。今回のツアーの最大の目的は2つありました。1つはこの「ピアニッシモⅢ」への乗車、もう一つは「オリエント急行」でのランチ。両方が楽しめて、すっかり満足したひと時でした。この「ピアニッシモⅢ」でのツアーは従来に比べればお高いですが、高いなりの価値は十分あるほどのものでした。

ちなみに日本で一番高級なバスは、三越伊勢丹の上級会員のみが参加出来るツアーで使用される「ロイヤルプレミアムクルーザー」です。乗車定員は僅か12名、ツアー代金もかなりの金額、参加条件も厳格でおいそれと乗ることは出来ません。またクラブツーリズムや阪急交通社「トラピックス」でも最近では高級バスツアーを出すようになりましたので、機会があればそれらのツアーにも是非、参加してリポートしてきたいと思います。

そうこうしているうちにバスは都内へ入り、ガイドさんがオーディオサービスの端末の回収にやってきました。そして最後の挨拶があり、ほぼ定刻に新宿駅西口に帰着しました。

今度はどこの乗り物情報をレポートするでしょうか?次回もまたお楽しみに!

【惜別】さようなら小田急ロマンスカー7000形「LSE」車


皆様こんばんは、「てつきち」です。久しぶりの更新となりましたが、いかがお過ごしでしょうか?

今日、1980年(昭和55年)のデビュー以来38年間に渡って走り続けてきた、小田急ロマンスカー7000形「LSE」車が、定期列車としてはラストランを迎えました。私は仕事のため行けませんでしたが、新宿駅では当該列車に乗務する乗務員たちへの花束贈呈などのセレモニーが行われた模様です。

そこで本日は、今まで撮りためた7000形「LSE」の画像の中から、いくつかピックアップしてご紹介したいと思います。今回のトップ画像は、代々木上原駅で撮影したものです。

まずは箱根湯本駅で折り返し待ちの所を1枚。今年の箱根駅伝の応援に行くため、わざわざこの7000形「LSE」が使われる列車を選んで行きました。それが私の最後の7000形「LSE」乗車となりました。

箱根湯本駅駅前の歩道橋から撮影した編成美です。特徴ある風景で、何人かの同業者が撮影をしていました。

1987年(昭和62年)の元旦に走った正月特急「初詣号」です。この列車は新宿~片瀬江ノ島間を走り、いつもは普通列車しか停車しない参宮橋駅に臨時停車する列車でした。現在は「ニューイヤーエクスプレス」号と名前を変え、運転形態を変更して走っています。

一時は10000形「HiSE」車を意識した、この様な塗装で走った時代もありました。

それでは今度は7000形「LSE」車の車内も見ていくことにしましょうか。

新宿寄り先頭車の展望席です。3100形ロマンスカー「NSE」車の時は10席だった展望席が、この7000形「LSE」車では14席に増え、眺めも以前に比べて俄然良くなりました。

3号車と9号車に設けられた売店(喫茶コーナー)です。かつてはここが車内サービスの基地となっていましたが、サービス体系がシートサービスから一般のワゴンサービスに変わった事に伴い、小改造が行われました。

4号車と8号車に設けられた洗面台です。場所を確保するため、デッキに隣接するように作られているのが大きな特徴でした。

2007年(平成19年)7月、3000形ロマンスカー「SE」車誕生50周年を記念して、7004F編成が懐かしい旧塗装に塗り替えられ、後にもう1編成も旧塗装に変わりました。

そして新ロマンスカー70000形「GSE」のデビューで第3編成が運用を離脱して廃車解体、残る第4編成も70000形「GSE」の第2編成登場で引退となったのでした。

小田急ロマンスカーの歴史を振り返ってみますと、この7000形「LSE」はとても画期的な車両でした。それまでのロマンスカーは、停車駅が少なかった事から乗降用ドアは手動式、座席の回転も「走る喫茶室」のスタッフが担当していましたが、7000形「LSE」からは乗降用ドアも自動化され、座席の方向転換も自動化されて大幅な改革となりました。

また1955年(昭和30年)にデビューした2300形ロマンスカー以来、実に25年振りのリクライニングシートの採用も行われ、デラックスさをも感じさせてくれた特急車でした。中学生の時は、江ノ島特急「えのしま」号によく乗ったものですが、この7000形「LSE」が来ると、思わず小躍りしたものです!

考えてみれば7000形「LSE」は、小田急ロマンスカーの中では「特急列車時代を一番長生きしたロマンスカー」といっても過言ではないでしょう。

具体的に言えば、3000形ロマンスカー「SE」車は1957年(昭和32年)デビューの1992年(平成4年)引退(営業運転としては前年度に引退)ですから正味35年間です。ちなみにこの画像は、営業運転としては最終日になった1991年(平成3年)3月15日に松田連絡線にて撮影した下り「あさぎり7号」です。

その次の3100形ロマンスカー「NSE」車は1963年(昭和38年)デビューの1999年(平成11年)引退ですから正味36年。小田急ロマンスカーとしての黄金時代を作り上げた立役者でありました。

この7000形「LSE」車は1980年(昭和55年)のデビューから2018年(平成30年)で正味38年でした。これは小田急ロマンスカーの歴史の中で、一番の長寿車両ということになります。ちなみに小田急ロマンスカーの中で最短命だったのは、1955年(昭和30年)にデビューし、1959年(昭和34年)に特急列車としての一線を退いた2300形ロマンスカーです。

戦後すぐの1949年(昭和24年)にデビューした1910形から1700形、2300形、そして3000形ロマンスカー「SE」車と「小田急ロマンスカー」の歴史は進んできましたが、その栄光の歴史の中で一番長い時代を走り抜いたのがこの7000形「LSE」車ではないでしょうか。

その栄光のランナーに改めてメッセージを贈りたいと思います。

38年間の活躍、本当にお疲れ様でした。
そして、ありがとうございました!

【懐かしの1枚】1996年(平成8年)の名鉄・犬山遊園駅


皆様、こんばんは。「てつきち」です。今日の東京は、寒い1日でした。

今日も懐かしの1枚からお送りします。1996年(平成8年)の春に、名鉄犬山線・犬山公園駅で撮影した1枚です。この時は、犬山線から各務原線経由で新岐阜(現在の名鉄岐阜)行きの7300系電車と、名鉄犬山モノレール(2008年12月に全線廃止)が並んだ姿が撮れました。

この名鉄7300系電車は、名鉄特急のネットワークを支線網にも広げよう、という目的で1971年(昭和46年)に旧型電車(3800系29両・800形1両)の機器を流用し、車体を更新して製造された特急電車です。

座席指定特急運用に使用するため、冷房装置の他、「座席指定」表示器と「どけよホーン(ミュージックホーン)も設置されましたが、駆動装置は吊り掛け式モーターの旧型でした。1972年(昭和47年)には、三河線の碧南駅から犬山を経由して上飯田駅へ向かう座席指定特急「明治村」号として使用されました。(犬山~上飯田間の小牧線内は普通列車扱いでした)

車内は特急用という事で、ゆったりとした転換式クロスシート(戸袋窓部はロングシート)が並び、7000系「パノラマカー」にも引けを取らない車内設備でした。車体は「パノラマカー」とほぼ同一でしたが、貫通式で展望席がない事や、吊り掛け式駆動であることから「ニセパノラマカー」等という有り難くないあだ名まで付けられていました。

名鉄時代は三河線を中心に、小牧線や各務原線、広見線などで多く使用されており、急行電車などで力強いモーター音を響かせて走っていました。1997年(平成9年)4月13日のさようなら運転を最後に名鉄での活躍を終了し、系列の豊橋鉄道渥美線へと転属しました。

豊橋鉄道では「観光電車」という事で塗装の変更が行われ、主に伊良湖岬方面への観光輸送として活躍しましたが、2扉電車であるという事がネックとなってしまいました。特に朝夕の通勤ラッシュ時間帯には、扉が2つしかないためお客様が集中し、列車遅延やダイヤの乱れが発生する事態が頻発しました。そしてわずか3年程で、元・東急の7200系電車が「1800系」として入線すると全車引退となり、廃車されました。

左に写っています「名鉄犬山モノレール」は、日本モンキーパークへのアクセス手段として、ゴムタイヤでコンクリート製のレール上を走行する「日立アルウェーグ式」による「日本初の跨座式モノレール」として1962年(昭和37年)3月21日に開業したものです。このモノレールは、後に開業した「東京モノレール」の礎にもなったモノレールであり、「東京モノレール」が浜松町~羽田間で開業した際には、技術指導、ということで名鉄の社員が数名出向で行った程です。

長らく日本モンキーパークや、成田山名古屋別院大聖寺へのアクセス鉄道として親しまれてきたこのモノレールでしたが、レジャーの多様化とニーズの変化により乗降者数は落ち込んでいきました。そのため、2008年(平成20年)12月18日、惜しまれつつも全線廃止となりました。

廃止後は、3両編成の車両のうち2両が旧「動物園」駅跡で展示保存され、外から見る事が出来ます。(中に入ることはできません)1両は、岐阜県可児市にある温泉施設「スパリゾート湯の華アイランド」にて、展望台として保存されています。

これからも「乗り物」にこだわった、楽しい画像や話題、懐かしい画像をどんどんお届けしていきたいと思います!

【特別車】東武鉄道634型「スカイツリートレイン」に乗ってきました!

日付が変わりました。皆様、いかがお過ごしでしょうか?昨日は、今年の鉄道友の会「ブルーリボン賞」「ローレル賞」が決定し、このページで以前ご紹介した東武鉄道500系特急電車「リバティ」「ローレル賞」を受賞する、というおめでたい話題となりました。

そんな訳で、今日も東武の特急電車の話題をお届けいたします。

快速用の6050系電車のうち、6177編成と6178編成の2編成を展望車として改造した634型「スカイツリートレイン」です。これは東京スカイツリーをPRするために誕生したもので、登場当時は日光・鬼怒川特急の他、会津鉄道に直通して会津田島まで走ったり、浅草~春日部~大宮間で走ったりしたこともありました。

2017年(平成29年)4月16日で定期運行を終了し、以後は団体専用車両として使用されています。

その634型「スカイツリートレイン」へ2016年(平成28年)8月に乗る機会がありました。鉄道愛好家の有志でこの「スカイツリートレイン」を貸し切り、上毛電鉄のデハ101号電車も貸し切ろう、というツアーで、浅草駅から赤城駅まで乗ってきました。

浅草駅の急カーブホームで撮影した634型「スカイツリートレイン」です。乗務員さんと話をしているのは、東武トップツアーズの添乗員さんです。(プライバシー保護のため、画像を修正してあります)

この乗った日は大雨で、ダイヤも乱れがちでした。それでも「余計にスカイツリートレインに乗っていられる」という皆の思いの方が強く、車内は大盛り上がりでした。


ワインレッドのモケットのシートが並んでいます。1人掛けと2人掛けのリクライニングシートが並び、2人掛けの方は景色を楽しめるように窓向きになっています。

窓側に向いた、2人掛けのリクライニングシートです。観光列車にはふさわしい車内ですね!

もう一方の車内は、ブルーのモケットのリクライニングシートが並んでいます。

運転席後ろのミニロビーです。ここでおしゃべりすることも出来ます。またこの近くには、定期列車営業の際に車内販売の基地ともなるミニカウンターもあります。

車内に設けられたミニステージで、車内イベントの司会をしている東武トップツアーズの添乗員さんです。(プライバシー保護のため、画像を修正してあります)この後はカラオケ大会となり、私も細川たかしの「応援歌いきます」を熱唱してきました。このステージのカラオケは、各車両のモニターテレビに映し出されるそうです。

車内には、この様に記念撮影用のボードもあり、観光列車として相応しいサービスです。ちなみに写っているのは、筆者本人です。(プライバシー保護のため、画像を修正してあります)

この634型「スカイツリートレイン」の「634」とは、東京スカイツリーの高さの634mから取ったそうです。

この楽しい列車、また定期で走ってくれるといいなぁ。そして欲を言えば、東上線にも是非来てもらいたいものです。

【保存車】鉄道博物館のマイテ3911号展望車に乗ってきました!


皆様、おはようございます。「てつきち」です。今日は大宮にある「鉄道の殿堂」鉄道博物館に保存されている車両の話題をお届けいたします。

今回ご紹介するのは、「マイテ3911」号特急用1等展望車です。1930年(昭和5年)に鉄道省大井工場にて、国際連絡特急「富士」号に使用する1等展望車として製造されました。この国際連絡特急「富士」号は、下関で関釜連絡船に接続し、そこから鉄道の乗り継ぎでモスクワからヨーロッパ方面へ接続する、という特急列車でした。1935年(昭和10年)には、1等寝台車に日本の鉄道車両としては初のシャワールームが取り付けられたほどです。

「マイテ3911」の展望室車内です。普段は非公開でガラス越しに見るような形になっていますが、この時は車内が特別公開となっていました。この奥は非公開となっているので、何があるのか不思議なところですよね。

展望室車端部の車内机部分です。ここの机を使って、手紙などを書いたそうです。

また本棚として使用されていた、という説もありました。

「マイテ3911」のソファです。今回の車内公開で特別に座ることが出来ました。座り心地は上等で、このソファに座って汽車旅なんてどんなに素敵だったのだろうか、と思いました。

「マイテ3911」の天井部分です。外国人からは「日本らしい!」と好評でしたが、日本人からは「まるで霊柩車に乗っているようだ」と揶揄されていました。

 

マイテ39の欄間彫刻です。そこかしこに、当時の技術と芸術さが活かされていますね!

現在、この様なデッキのある展望車は、JR山口線の「SLやまぐち」号のグリーン展望車で乗ることが出来ます。これもこの1等展望車をモチーフに再現されたものだそうです。

またSL列車でお馴染みの大井川鐵道でも、西武鉄道の電車を改造した展望車「スイテ821」が走っています。こちらは時々団体用として一般のSL列車に連結されて走る他、各種イベント列車としても走る事があります。デッキで風に吹かれながら旅を楽しむ、何て素敵な旅でしょうね!