【鉄博が面白い!】鉄道博物館のキハ41307号車に迫る!

皆様こんばんは、「てつきち」です。いかがお過ごしでしょうか?毎週月曜日と木曜日は「てつきちの日」ですが、昨日は疲労のため更新をお休みしてしまい、申し訳ございませんでした。そこで本日、1日遅れで発信したいと思います。

今回は大宮にあります鉄道博物館の、国鉄キハ41307号車についてお届けしたいと思います。

この車両・キハ41307号車が生まれたのは1934年(昭和9年)1月のことで、川崎車輛製です。当時はガソリンエンジンを取り付けたガソリンカーで、「機械式変速機」を備えていました。そのため連結運転の際の総括制御が出来なかったので、連結運転の際はそれぞれに運転士が乗務して、ブザーの合図でクラッチレバーをロー、セカンド、サード、トップと変速していた手間のかかるものでした。

キハ07形の一部が後年、総括制御可能車に改造されたのに対してこのキハ41000形(後のキハ04形)は、国鉄時代は最後まで総括制御化はされませんでした。

このキハ41307号車は、主に小海線(小諸~小淵沢間)で使用されており、後に「キハ04 8」に改番されました。

そして1958年(昭和33年)には、静岡県の遠州鉄道へ移籍して、同社のキハ802号車となりました。遠州鉄道と言えば、電化私鉄なのに何故キハが走るのか?とお思いの方も多いかと思われます。

この当時、浜松市と天竜市を直結して浜松から遠江二俣(現在の天竜二俣)を結ぶ直通列車が計画されました。しかし国鉄二俣線(現在の天竜浜名湖鉄道)は非電化路線。そのためには専用のキハが必要だ、ということで遠州鉄道は国鉄から3両のキハ04の払い下げを受けたのです。

ドアエンジンが設けられて自動扉に改造され、エンジンもガソリンエンジンからディーゼルエンジンに載せ替えられた3両のキハ04改めキハ800形は、新浜松発遠江二俣行きの直通列車として1日4往復が設定され、後には運転区間が遠江森(現在の遠州森)まで延伸されました。

この直通列車は歓迎をもって迎えられましたが、車両自体が老朽化していた上に電車線(現在の西鹿島線・新浜松~西鹿島間)のダイヤが過密化してきて、運行が難しくなりました。

結局、遠州鉄道の国鉄二俣線乗り入れは1966年(昭和41年)9月末をもって廃止となり、お役御免となった3両のキハ04は、石川県の北陸鉄道能登線(羽咋~三明間)へ移籍し、同線の「キハ5211」号車となりました。

その車内です。鉄道博物館がリニューアルした際、当時の様子をより感じてもらおうという事で、車窓シアターが新設されました。

北陸鉄道の路線では唯一の非電化路線だった能登線ですが、ここで変速機が載せ替えられて「機械式」から「液体式」になり、連結運転の際の総括制御が可能になりました。しかし北陸鉄道能登線も、1972年(昭和47年)6月24日で全線廃止。キハ5211には「さようなら能登線」と書かれたヘッドマークが付けられ、最終列車としての任務を担いました。

幸いにもこの「キハ5211」号車は、僚友のキハ5212号車、キハ5251号車、キハ5301号車と共に茨城県の関東鉄道への移籍が決まり、キハ5251号車は常総線、それ以外の3両は筑波線に配属となって「キハ461」となりました。

同じ遠州鉄道からやって来た仲間の「キハ5213」号車は、千里浜ドライブウェイ付近で食堂として使用されていましたが、食堂の廃業と共に解体されました。

筑波線で活躍していた「キハ461」は、1985年(昭和60年)に廃車となりました。僚友の「キハ462」は一足先の1981年(昭和56年)に廃車解体されましたが、「キハ461」は真鍋の車庫で保管されていました。

後に1987年(昭和62年)3月31日、筑波鉄道が廃止されると、鉄道愛好家の団体が購入し、つくば市内の公園で保存活動が行われてきました。

さらに2007年(平成19年)、東日本鉄道文化財団に寄贈されて、現在の鉄道博物館(埼玉県さいたま市)に安住の地を見付けたのです。この時に、登場当時に近い「キハ41307」の姿に復元されたのでした。

鉄道博物館で他の車両と並ぶその姿。それは昔話を孫たちに語っているおじいちゃんの様にも見えました。

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【奇跡のショット!】2台揃った京王バス東の「ワンロマ復刻塗装車」

皆様こんばんは、「てつきち」です。いかがお過ごしでしょうか?毎週月曜日と木曜日は「てつきちの日」。今日も乗り物の話題をお届けしたいと思います。

今日の1枚は先日、永福町にある京王バス東の車庫で撮影したものです。従来の塗装車を挟むかの様に「ワンロマ復刻塗装車」が停車していましたので、思わず1枚。

では「ワンロマ車」とは一体、どんなバスのことを言うのでしょうか?

京王バスの場合、正式名称は「路線・高速兼用車」といい「ワンマン・ロマンス」の略称から「ワンロマ車」の通称で呼ばれていました。

この「ワンロマ車」が登場したのが、昭和50年代前半。当時の京王帝都電鉄バスは、路線網の拡張で新車を何両も増備していました。また浜松町・新宿~富士五胡間(現在、浜松町発は廃止されました)を走っていた「中央高速バス」は休日ともなると増発、増車が相次ぎ、料金箱設備のない貸切車まで車掌さんを乗せて駆り出すという状態でした。

そこで1978年の「中央高速バス甲府線」開業を機に、路線バス・高速バス両方で使用できるタイプのバスを登場させよう、という事で登場したのが、初代の「路線・高速兼用車」でした。

これが初代「ワンロマ車」のカラーリングです。平日は一般の路線バスに使用するという事で、2ドアにつり革と通勤仕様でしたが、車内は高速バスに対応できるようにリクライニングシートが設けられました。

数年後に登場したのが、トップ画像の左側にある「白と緑のワンロマ車」です。塗装は白色ベースに、オレンジやグリーンでカラーリングされ、降車用扉は4枚の折戸式となっていました。

中央高速バスの増発便に使用するという事で、方向幕には「河口湖」「山中湖」「本栖湖」「甲府駅」等の表示も入り、主に永福町と中野の営業所に集中配置され、平日は新宿駅西口~中野車庫間、新宿駅西口~永福町間等の一般路線バスに、休日は「中央高速バス」の増発便としてフレキシブルに活躍しました。

1986年頃には3代目の「ワンロマ車」が登場し、こちらは黒をベースとした貸切車と同一のカラーリングになりました。

しかし年月が経つにつれ、一般便と「ワンロマ車」による増発便のサービス格差が出たことや、車内が観光仕様であったため、ラッシュ時の使用に困難をきたしたことから、次第に「中央高速バス」の増発便は、貸切車に車掌さんを乗せてまかなう事が多くなりました。

こうしてかつての「ワンロマ車」は、一般路線車へ格下げされ、中には座席のリクライニング装置を撤去したバスもありました。そして短距離の貸切や、大学等の契約輸送専用車に転用され、波瀾万丈な人生を終えたのです。

子供の時に京王バスに乗った時、このバスが来たら「あー、ラッキー!」と思った事を、今も覚えています。そんな懐かしい時代のカラーリングを復活して下さった京王バスさんに脱帽です!

京王バスと言えば、こんな動画を作ってみました!良かったら、チャンネル登録もどうぞよろしくお願いいたします。

【鉄道スケッチ】頑張れ、長野電鉄の「マッコウクジラ」!

皆様、おはようございます。「てつきち」です。毎週月曜日と木曜日は「てつきちの日」。いかがお過ごしでしょうか?

今日も前回同様、長野電鉄から話題をお届けします。今回ご紹介しますのが、長野電鉄3500系(2両編成)、3600系(3両編成)です。こちらは元営団地下鉄日比谷線で活躍していた車両で、今でも通勤通学輸送の第一線で活躍しています。

1981年(昭和56年)に長野市内の地下線(長野~市役所前間)が開業した時、従来から走っていた旧型電車を屋代線へ回して、元・東急の「アカガエル」5000系を2500系にして、通勤用の主力で活躍させました。

その後、2500系電車が老朽化などで引退して入線したのが、元・営団地下鉄日比谷線の3500系(2両編成)、3600系(3両編成)です。

この後に長野電鉄入りした、元東急の8500系はブレーキの関係で信州中野〜湯田中間を走れないため、全線に渡り活躍しています。

須坂駅に留置してある編成です。長野電鉄に入線した編成には、窓下に、赤帯が巻かれていますがら、こちらは元の姿に戻されていました。

さて長らく活躍してきた、この長野電鉄3500系も同じ東京メトロ日比谷線から後継車として03系が入線してきました。本来でしたら、間もなく交代の儀式となりますが、コロナの影響で2022年を目処に3500系、通称「マッコウクジラ」は引退だそうです。

ちなみに一足先に現役を引退した第1編成は東京メトロへの里帰りを果たし、現在では日比谷線時代の姿に復元されて綾瀬の車両基地で保管されています。こちらはイベントの時などに公開されており、懐かしい行先の方向幕も出ます。

コロナ収束後には、是非長野への撮影はいかがでしょうか?

※この情報は、緊急事態宣言以前に歩いて調べたものです。そのため、現在では緊急事態宣言を受けて営業休止や閉鎖になっている場合もありますので、宣言解除後のご来訪の折は最新の情報を確認されます様、よろしくお願いいたします。

【首都圏特急のOBに再会!】長野電鉄の電車が、今面白い!

皆様こんばんは、「てつきち」です!いかがお過ごしでしょうか?ペースが乗ってきましたので、このページも毎週月曜日と木曜日に定期更新していこうと思います。

今日の1枚は長野電鉄(長野~湯田中間)から。ここ長野電鉄で活躍している1000系「ゆけむり」。こちらは見てみると、元・小田急ロマンスカーの10000形「HiSE」車です。長野電鉄では11両編成を4両に短縮し、窓周りのワインレッドを赤い「りんごレッド」塗り替えて活躍しています。

小田急時代は全車指定席でしたが、長野電鉄では特急料金さえ払えば自由席。そのため、展望席の所には早くから行列が出来ています。また季節運転のイベント列車「ワイン列車」などにも使用されています。

現在では車内放送が自動化されているので聞けなくなりましたが、かつては車掌さんによるその駅ならではの到着案内放送が流れていました。例えば須坂駅なら、
「次は『蔵の町』須坂でございます。本日のご乗車、誠にありがとうございました。」

小布施駅なら、
「次は『栗と北斎の町』小布施でございます。本日のご乗車、誠にありがとうございました。」

信州中野駅なら、
「次は『土人形の町』信州中野でございます。本日のご乗車、誠にありがとうございました。」と駅ごとに特徴あるアナウンスでした。

この面構えは、かつてJR東日本で「成田エクスプレス」として活躍していた253系ですね。引退後はこの様に2編成が長野電鉄へ移籍して2100系となり、地獄谷の猿から「スノーモンキー」の愛称もつけられました。

こちらも特急なので、乗車の際には特急券が必要です。また湯田中寄り先頭車にある、かつてのグリーン個室は「スパサルーン」として、別途個室料金がかかり、事前予約はできず車内で先着順に購入だそうです。

小布施駅に保存されている、大先輩2000系「りんご特急」と並んだところを撮影してみました。

それではここで、2000系特急電車についても簡単に触れておきましょう。この2000系特急電車は、志賀高原への観光輸送を視野に入れて1957年(昭和32年)から1964年(昭和39年)にかけてA編成からD編成まで3両固定編成4本が日本車輌で製造されました。車内にはゆったりとした回転式クロスシート(戸袋窓部はロングシート)が採用され、C編成には当時としては珍しかった車内ラジオや、音楽を流すためのテープレコーダーも装備されていたデラックス特急電車でした。

また長野電鉄では、その年に入社した女子社員から背の高い数名を選抜して「特急ガール」という名前でキャビンアテンダントとして乗務させ、車内改札(当時は座席指定制度が取られていました)や観光案内などの業務も行っていました。

最初は阪急電車の様なマルーンに白帯でしたが、1964年(昭和39年)に登場したD編成は、マルーンとクリームの金太郎塗りになり、その風体から「栗まんじゅう」のあだ名が付きました。

長年、志賀高原や木島平への特急電車として活躍してきた2000系特急電車も、後継車である1000系「ゆけむり」が小田急電鉄より入線すると、段々と一線を退くようになりました。そして2011年(平成23年)にJR東日本で「成田エクスプレス」として活躍していた253系が2100系「スノーモンキー」として運用を開始すると引退し、2012年(平成24年)にイベント用として最後まで残っていたD編成が引退すると、長野電鉄からは姿を消したのでした。

そしてD編成のみが現在でも、小布施駅構内に屋根付きで保存されており、日中は車内を見学することも出来ます。また登場時の「マルーン塗装」に復元されたA編成は、屋代線(2012年3月31日全線廃止)の信濃川田駅構内に、保存を前提として留置されていましたが、やがて荒れ果ててしまい、惜しくも先日解体されてしまいました。

そして、長野電鉄の特急を語る上でもう一つ忘れてはいけない列車があります!

それは上野発湯田中行きの急行「志賀」号です!長野行の急行「信州」号に連結されて上野駅を出発。最初はキハ57形気動車で運転されていましたが、後に電化されて169系電車で信濃路を走りだしました。碓氷峠を越えて、屋代で「信州」号と切り離されて長野電鉄屋代線へ。

長野電鉄内では「特急」扱いとなり、松代・須坂・小布施・信州中野に停車して湯田中まで走りました。この急行「志賀」号は、1982年(昭和57年)のダイヤ改正で廃止されました。

現在、上信越自動車道の横川サービスエリア上り線には「峠の釜めし」でお馴染みのおぎのやが出店し、イートインコーナーにはかつてのキハ58形気動車のカットモデルがあります。サボが急行「志賀」になっているのが嬉しいですね!

コロナが収束したら、是非小布施や志賀高原の旅に長野電鉄の特急電車はいかがでしょうか?都会で逢えた懐かしい電車達に再会できますよ!

※この情報は、緊急事態宣言以前に歩いて調べたものです。そのため、現在では緊急事態宣言を受けて営業休止や閉鎖になっている場合もありますので、宣言解除後のご来訪の折は最新の情報を確認されます様、よろしくお願いいたします。

【鉄道スケッチ】さようなら阪神の「赤胴車」

日付が変わりました。皆様、いかがお過ごしでしょうか?今日の話題は、関西からです。

阪神電車の武庫川駅。この駅は武庫川の流れの上にホームがあり、本線の駅舎は兵庫県尼崎市、武庫川支線の駅舎は兵庫県西宮市にあるという面白い構造となっています。

その武庫川支線では、既に本線運用を引退した「赤胴車」7961形が活躍しています。赤とクリームの塗り分けで、当時の人気漫画「赤胴鈴之助」に因んで「赤胴車」のニックネームがありました。

その後、本線の優等列車(特急・急行用)はオレンジとパールホワイトの塗装となり、「野球の巨人を連想するからやめてくれ」と話題になっています。私も阪神ファンの一人として、本線系統の優等列車は「赤胴車」に戻してほしい!という思いです。

この様に長年活躍してきた「赤胴車」7961形も、寄る年波には勝てずに、この度引退。今月からは阪神タイガースと甲子園球場をテーマにした5500系電車が走りだします。これは沿線にタイガース二軍の本拠地である「鳴尾浜球場」があることに因んで採用された塗装だそうです。

引退した「赤胴車」7961形の内、1両は武庫川団地前駅の所に新設される公園で静態保存され、地元の憩いの場になるそうです。

また普通車用の「青胴車」5000系も、年内いっぱいでの引退が決まっているそうです。こちらについても後日、お届けしたいと思います。

※この情報は、緊急事態宣言以前に歩いて調べたものです。そのため、現在では緊急事態宣言を受けて営業休止や閉鎖になっている場合もありますので、宣言解除後のご来訪の折は最新の情報を確認されます様、よろしくお願いいたします。