【惜別】さようなら上野動物園モノレール

皆様、おはようございます。いかがお過ごしでしょうか?今日の話題は、パンダで沸いてる上野動物園から。

この上野動物園の東園と西園の間には、日本で最初の「懸垂式モノレール」が走っていましたが、施設の老朽化等によりこの10月31日で休止されることになりました。

東園駅に停車している、40形モノレールです。現在の車両で四代目だそうです。窓の大きさが広く、眺望を堪能出来るように配慮されています。

東園駅では、乗車記念のグッズが配られていました。

今回いただいたグッズです。上野動物園モノレールのペンダントストラップでした。

運転席です。乗車時間は短いですが、本格的に作り込まれています。ミュージックホーンを鳴らして、ハイ発車!

発車シーンを動画でお楽しみください。

乗車時間にして約2分の「空中散策」でしたが、満足出来ました。西園駅は、乗車を待つ人とグッズを買う人で大行列!この日はパンダ🐼よりも、モノレールの方が行列出来ていました。

東園と西園を結ぶ「こおろぎ橋」の所で、下からモノレールを撮影。ここも「大同業者まつり」でした!

1両目が近づいてきました。

連結部はこんなカラフルです。

編成全体は、こんな感じでした。

「こおろぎ橋」の所で、下からモノレールを動画撮影してみました。

子供の頃、親に上野動物園へ連れてきてもらった際、このモノレールに乗りたいとせがみましたが、「歩きで十分」と却下され悔しい思いをしました。そのリベンジを果たしたのが2006年(平成18年)の時でした。

この上野動物園モノレールは、将来の都市交通の試験線として開業した日本最古のモノレールで、もしもこのモノレールが実用化されていたら東京の都市交通は大きく変わっていたでしょうね。

しかし施設や車両の老朽化が進み、その修復費用に莫大な金額がかかる事や、園内施設のリニューアルなどから今回の「運行休止」に繋がったのです。これで「懸垂式モノレール」が走るのは、神奈川県の湘南モノレールと、千葉県の千葉都市モノレールのみになりました。

【保存車両】北陸鉄道加南線6010系「しらさぎ」号(石川県加賀市)



皆様こんばんは、「てつきち」です。毎週月曜日は「てつきちの日」。今日の話題は、北陸は石川県加賀市からお送りいたします。

北陸を代表する温泉地「加賀温泉郷」。山代温泉、山中温泉、片山津温泉、粟津温泉を総称して言うこの温泉郷へは、かつて北陸本線の各駅から北陸鉄道加南線(かなんせん)がアクセスしていました。これは片山津線、粟津線、動橋線、連絡線、山中線の総称でした。加賀温泉郷を控えていたことから、1951年(昭和26年)からはセミクロスシートの観光電車を導入して、主に山代温泉や山中温泉へと向かう系統で走っていました。

翌1962年(昭和37年)には、6000系「くたに」号が登場しました。純然たる新車で、オレンジとクリームの「北陸鉄道カラー」。地元の伝統工芸品である九谷焼から名前を付けて、先頭部には九谷焼で出来た「くたに」のヘッドマークが取り付けられました。

その後1963年(昭和38年)に導入されたのが、この6010系「しらさぎ」号です。下回りや走行機器は従来車からの流用でしたが、車体は日本の高速電車では2番目となるアルミ合金製軽量車体が採用されました。その姿と、加南線終点に所在する山中温泉は鎌倉武士が浴する白鷺を見て発見されたという伝説から、「しらさぎ」号の愛称が与えられました。

扉間に転換式クロスシートを配し(車端部はロングシート)「観光電車」に相応しい作りだった6010系「しらさぎ」号と6000系「くたに」号は、たちまち加南線の主役となり、車内では民謡・山中節のメロディーまで流されていたそうです。しかし、加南線の黄金時代も長くは続かなかったのでした。モータリゼーションの発達で1962年(昭和37年)に粟津線、1965年(昭和40年)に片山津線が廃止されたのをきっかけに、北陸鉄道は鉄道線の全線廃止まで検討されました。これには地元自治体が猛反対し、合理化の結果、石川総線と浅野川線のみ残すことを決定しました。

と同時に、国鉄北陸本線の特急停車駅を大聖寺駅にするか動橋駅にするかについては沿線自治体間で激しい争いが続いた結果、国鉄が両駅の中間の作見駅を「加賀温泉駅」に改称した上で拠点的な特急停車駅とし、従来加南線各線を利用していた温泉観光客が加賀温泉駅経由でのアクセスに移行したことで当線の乗客数が激減していた経緯があり、1971年(昭和46年)7月11日に北陸鉄道加南線は全線廃止されたのです。

「しらさぎ」号と「くたに」号は、「加南線電車 さようならのヘッドマークを取り付けられて全線を運行。最終日の午後からは電車の乗車が無料開放となり、沿線住民の他、温泉観光客も加わって大混雑となりました。

そして最後、山代温泉駅に「しらさぎ」号と「くたに」号が並んで、北陸鉄道加南線の歴史に終止符が打たれたのでした。

この「しらさぎ」号と「くたに」号は、幸運にも静岡県の大井川鐵道に再就職が決まり、2編成揃って移籍しました。「しらさぎ」号は、性能が旧型だったことから部品確保や走行装置の確保が容易だったため、大井川鐵道では長らく主要車輌として活躍。時には有料急行電車としても活躍しました。

1989年(平成元年)に新金谷駅で撮影した6010系「しらさぎ」号です。ワンマン改造されたり、車内にジュース類の自動販売機が設置された他は、北陸鉄道加南線時代のままで走っていました。

1995年(平成7年)に千頭駅で撮影した時のものです。雨の日ということもあって、アルミ製の車体が輝いているかのようにも見えました。

大井川鐵道時代の6010系「しらさぎ」号の車内です。北陸鉄道加南線時代とはシートのモケットの色が違うのにお気づきでしょうか?車内には花も飾ってあり、この時代が一番生き生きとしていた時代なのかもしれませんね。

しかし2000年(平成12年)頃になると、さすがに車体のくたびれや部品確保の困難が出てきました。そして2001年(平成13年)に引退となり、長い事千頭駅構内に留置されていました。

その後2005年(平成17年)に本系列ゆかりの地である石川県江沼郡山中町(現・加賀市)での保存が決定しました。これは同年に市町村合併に伴い消滅することが決定した山中町より「地元の記念品として町内に展示保存したい」との申し入れがあり、それを快諾した大井川鐵道が本系列を同町へ無償譲渡したものです。

そして新金谷からトレーラーで運ばれ、現在は「道の駅山中温泉 ゆけむり健康村」に静態保存されています。

大井川鐵道から山中温泉へ里帰りした際に、北陸鉄道の社紋も復活されました。地元の人の「電車に対する愛情」をも感じます。

足回りにもガラスのはめられた、独特の形の乗降用ドアーです。大井川鐵道時代は、ここから「深い渓谷を見る事が出来る」と好評でした。

当時のままに残っている運転席です。右側には、大井川鐵道時代に取り付けられたワンマン装置が残っています。

大井川鐵道時代に取り付けられたワンマン装置です。ワンマン料金箱の操作やドアの開閉も、このスイッチで行っていました。

この電車も、少しくたびれかけた所が出ているのが気になります。でも「地元を走った証である」という話が長く受け継がれ、いつまでも残って欲しいと願わずにはいられませんでした。

最後に、姉貴分の6000系「くたに」号のお話も少ししたいと思います。共に大井川鐵道へ移籍しましたが、新性能電車故部品や走行機器の確保がままならない状態でした。そのためこの電車はトレーラー扱いになり、他の電車に牽引されないと走れない状態にまでなってしまいました。愛称も「くたに」から、南アルプスの赤石山脈に因んだ「あかいし」に変わりました。

その後小田急電鉄からデハ1906号車が移籍すると、この電車に牽引されて3両編成で走るようになり、サービス格差が大きかったことからデハ1906号車は「荷物車」扱いとなりました。

後に大井川鐵道がワンマン化されると、3両編成故ワンマン対応が出来ない同車は次第に活躍の場を失い、1994年(平成6年)の南海21000系電車第1編成導入に伴って本形式は運用から完全に離脱し、新金谷駅近くの側線に留置されていました。そして1996年(平成8年)に廃車解体されたのでした。

【惜別】さようなら!JR北海道「クリスタルエクスプレス」



皆様、こんばんは。「てつきち」です。1週間のご無沙汰でした。昨日は多忙のため、今週の「てつきち」は火曜日配信となります。

さてこの9月30日、20年間に渡って北の台地・北海道を走ってきたリゾート列車「クリスタルエクスプレス」がラストランを迎えました。最終日の札幌駅には、全国各地から多くの鉄道ファンが詰めかけ、最後の走りや入線シーンを写真や動画で撮影する姿が見られ、全国区のニュースでも取り上げられた程です!

そのリゾート列車「クリスタルエクスプレス」ですが、私は2001年(平成13年)の秋に、特急「フラノラベンダーエクスプレス」号として札幌~富良野間を走った時に乗車しました。隣のホームにいる赤地に白帯の電車は、当時の札幌近郊の顔でした711系電車です。引退した今となっては、もっと写真撮っておきたかった!という後悔で一杯です。

運転席部分を2階に上げて前面展望を重視した姿は、イタリアの特急電車「セッテベロ」に端を発し、日本では1961年(昭和36年)に名古屋鉄道[名鉄]「パノラマカー」としてそのスタイルを踏襲。その2年後の1963年(昭和38年)には小田急電鉄が3100形ロマンスカー「NSE(New super Express)車として受け継ぎ、以後の小田急ロマンスカーシリーズでも今日の最新鋭・70000形「GSE」車にまで繋がっているデザインです。

それでは、車内を見てみることにしましょうか。

まずは先頭車の車内から。一般座席からも前面展望を、ということで一般席はハイデッカー構造となっており、前面部にはモニターTVもあります。座席は特急用に相応しく、ゆったりとしたリクライニングシートでした。

中間車は2階建で、2階席はグループ客利用を意識したゆったりした4名定員のボックス席が並んでいました。このスタイル、JR東日本の251系特急「スーパービュー踊り子」号が登場した時も確か、一部の号車で採用されていました。

1階部分には電子レンジなどを備えたビュッフェカウンターがあり、軽食や飲み物の販売も行われていましたが、この時は生憎と営業休止状態でした。最近ではJR北海道の特急列車そのものの車内販売が全廃された、という残念なニュースがあるだけに、せめてこの様な観光列車では是非、車内販売をやって欲しいものですね。人件費その他のコストを考えると難しいものはありますが。

中間車にあったラウンジです。ここは喫煙室も兼ねていたので、灰皿の設備もありますね。「観光列車」となりますと、乗客をただ運ぶだけではなく、この様に指定の座席を離れてくつろぐフリースペースは是非、欲しいものです。そうなると、日光・鬼怒川へと走っていた東武特急1720系「DRC(デラックス・ロマンスカー)にあったサロンルームは、時代の先を行っていたんだな、と思っています。そこには自動販売機とジュークボックスがあり、ちょうど旅の気分転換に良かったなぁ、と今でも感じられます。

この特急「フラノラベンダーエクスプレス」号が富良野に到着する時、富良野ということで、さだまさし氏が歌う「北の国から」のスキャットが流れてきた時は思わず笑ってしまいました。

最盛期には多くのリゾート列車が走っていた北海道。それも今となっては懐かしい思い出と化してしまいましたね。

【富山で再会!】富山地方鉄道「アルプスエキスプレス」に乗ったぞ!


皆様、こんばんは。「てつきち」です。またまた、前回の更新から日が開いてしまいました。今回は、4月に行った富山の旅からひとつ。

立山駅で、次の電鉄富山行き列車は特急「立山」号。しかも観光列車「アルプスエキスプレス」使用!それを聞いて、すかさず2号車の指定席を確保しました。

この観光列車「アルプスエキスプレス」は、かつての西武特急「レッドアロー」を移籍させたもので、1編成のみ水戸岡鋭治氏のデザインによりこの様にされました。

特にリニューアルが施されたのが、座席指定車両である2号車で、ラウンジ仕様になったようです。どんな車内か、ワクワクしてきますね!

「特別車両」ということで、2号車の入口には暖簾がかかっていました。水戸岡氏の手掛ける全国各地の観光列車ではお馴染みのデザインですね!

車内の富山地方鉄道全線路線図も、この様な遊び心一杯のデザインになっていました。

車端部のファミリーシートです。4名定員で、家族連れにはちょうどいいですね!

車内に設けられたサービスカウンターです。「有料特急列車」としてこの編成が使用される場合は専任のアテンダントが乗務して、車窓案内やドリンク類、グッズの販売を行います。(冬季は営業休止)

サービスカウンター付近の座席です。山向きの座席はこの様に、座席に向かってカウンターがあり、1人掛の椅子が並んでいます。

車内の中央部には、ライブラリーコーナーがあります。鉄道や山の本、絵本、沿線の鉄道写真家が撮影した地鉄電車のアルバムなど、旅の読書タイムには楽しいコーナーです。

3号車の車内です。西武特急「レッドアロー」時代のリクライニングシートがそのまま活用され、シートモケットを張り替えて「豪華さ」を出しています。

これが3号車のリクライニングシートです。有料特急には相応しいつくりですね!

先頭車の車端部にあったキッズカウンターです。これならお子様も、堂々と窓の外を見ることが出来ますね。

ちなみにこちらが1号車です。3号車とは座席のモケットが違いますね。「有料特急列車」として走る場合、中間車の2号車が指定席、1号車と3号車が自由席になります。尚、富山地方鉄道の特急電車は、乗車の際には乗車券の他に別途、大人200円の特急券が必要となります。また、2号車の指定席は、空席がある場合は車内のサービスカウンターでも販売しています。

電鉄富山行き特急「立山」号は、定刻に立山駅を発車しました。発車するとすぐ、アテンダントさんが車内検札にやって来て、指定券の拝見を求められました。

富山地方鉄道の立山線は山岳区間を走る路線だけあって、川の渓谷美や緑が目を楽しませてくれます。車内販売で買った200円のコーヒーも、より味わい深く感じるほどです。

西武鉄道時代は、秩父の山々へ向かう観光客や登山者を乗せて走っていた特急「レッドアロー」。池袋~西武秩父間の「ちちぶ」号、池袋~所沢・飯能間の「むさし」号の他、デビュー当時は毎週金曜日の深夜に運転された夜行特急「こぶし」号というのもありました。これは秩父の山々の一つ・甲武信ヶ岳(こぶしがたけ)から名前を取り、金曜の深夜に池袋駅を出発して西武秩父駅へと向かいました。到着後は車内で仮眠ができ、早朝の登山バスに接続する、というダイヤでした。

後に新宿線系統でも西武新宿~西武秩父間に、休日限定ではありますが「おくちちぶ」号が走り、秩父への足として、そして通勤ライナーとしてこの特急「レッドアロー」は走ってきたのです。

私が初めてこの特急「レッドアロー」に乗ったのは、1993年(平成5年)の大晦日、秩父に当時あったユースホステルの年越しパーティーに行くため、所沢から西武秩父まで乗ったのが最初です。奇しくもこの日は、西武特急での車内販売営業が最終日で、「本日をもちまして、西武特急レッドアロー車内での車内販売を終了させていただきます。」と車内放送が流れたのを覚えています。

5000系特急「レッドアロー」の後継車として、まず新宿線系統「小江戸」(西武新宿~本川越間)デビューした10000系特急「ニューレッドアロー」では、車内販売の代わりに先頭車にジュース類の自動販売機が設置されました。またカード式公衆電話も設置されましたが、携帯電話の普及によりこちらは現在、撤去されました。

西武特急も新型特急車「ラビュー」のデビューにより、10000系特急「ニューレッドアロー」が秩父線系統から離脱する日も近くなりました。編成の中には「レッドアロークラシック」題して、この5000系初代「レッドアロー」が纏っていた、赤とクリームの塗装を復刻したものもあります。

秩父の山から、北アルプスの立山へ。この5000系初代「レッドアロー」は、山に縁が深い特急列車なんですね!

そんな事を考えているうちに特急「立山」号は、終着駅・電鉄富山駅へと到着しました。乗車時間は約1時間弱。ちょっと物足りないかな、という感じもしました。次回は乗車時間の割合長い、「アルペン特急」(立山~寺田~宇奈月温泉間)で乗ってみたいものです。

【惜別】富山地方鉄道14720形と10020形が引退へ!



皆様、こんにちは。「てつきち」です。毎週月曜日は「てつきちの日」。今日も乗り物の話題をお届けしたいと思います。

今日の話題は富山から。富山県富山市を中心に走る富山地方鉄道でこの度、長年にわたり活躍してきた14720形と10020形が、今年いっぱいで引退することになりました。10020形が今月いっぱい、14720形が12月だそうです。そこで富山地方鉄道では、様々なイベントを企画しています。

今回引退する14720形電車は、1962年(昭和37年)に3両固定編成で登場し、後に中間車をクハ(制御車)改造したのと同時に、クハを2両増備して2両固定編成2本として構成した車両です。観光用ということで、扉間はゆったりした転換式クロスシート、両端部はロングシート、という構成で主に急行電車用として使用されました。

一方10020形電車は、1961年(昭和36年)に第1編成が3両固定編成で登場し、中間車をクハ(制御車)改造して2両固定編成となり、3編成が活躍しました。こちらは主に特急運用で使用され、編成の中にはマイクオルゴールやミュージックホーンを備えた編成もありました。

いずれの電車も老朽化が進み、他社からの移籍車両が活躍するようになると活躍の場が狭まって廃車となりました。また14720形の1編成は不幸にも立山駅で火災に遭い、そのまま廃車となりました。

それでも、富山地方鉄道の近代化に一役買い、一時代を飾ったこの2形式の電車は文字通り、特急電車から急行、各停と幅広く運用され、観光客や沿線住民の足となって活躍したその栄光の軌跡は大きなものがあります。

今回撮影した画像は、2013年(平成25年)に電鉄富山駅で撮影したもので、この時は富山地方鉄道一番の最古参車両でした。この2編成の引退に伴い、富山地方鉄道では各種イベントを開催するそうです。詳しくは、富山地方鉄道ホームページをご参照ください。

また富山地方鉄道のアテンダントさんのブログでも、この話題が出ております。

※尚、鉄道会社への電話等による運用ダイヤの問い合わせは、現業の皆様に支障を与えますのでご遠慮くださいます様、よろしくお願いいたします。