【懐かしの画像から】のと鉄道のジョイフルトレイン「のと恋路号」

皆様おはようございます、「てつきち」です。いかがお過ごしでしょうか?

ちょっと遅れてしまいましたが、今日は懐かしの画像から1枚。石川県はのと鉄道で、NT800形気動車「のと恋路号」の画像がありましたので、ご紹介したいと思います。

このNT800形車両は、1988年(昭和63年)の能登線第三セクター化の際、観光列車として登場したものです。車内には展望が楽しめる展望室やラウンジ、サービスカウンター、自動販売機などがあり、専属の列車アテンダントさんも乗務して、観光急行「のと恋路号」として走っていました。

2002年(平成14年)に観光急行「のと恋路号」の定期運用が廃止となると、団体列車用として稼働していましたが、2005年(平成17年)に能登線が廃止となると運用を失い、廃車となりました。

ちなみにこの画像は、1998年(平成10年)に九十九湾小木駅で撮影したものです。この時からもう、22年経つのですね。

こちらも同じ時期に能登半島を旅した時に撮影したものです。この頃はのと鉄道も、輪島や蛸島までの路線があり、この写真の様なお座敷列車が走っていました。

今は路線縮小でこれらの車両も思い出の彼方に行ってしまいました。古い写真をスキャンしていると、その時々の思い出がふと蘇ってくることがあります。また能登の地を訪れ、懐かしい車両たちに再会できる日が早く来て欲しいものです。本当に、写真は一期一会ですね!

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【元祖・特急電車!】九州鉄道記念館のクハ481-603号車

皆様こんばんは、「てつきち」です。毎週月曜日と木曜日は「てつきちの日」。いかがお過ごしでしょうか?

今日の1枚は、門司港にある「九州鉄道記念館」から1枚。車両展示場の所にあった、懐かしの「ボンネット特急電車」です!車号は「クハ481-603」といい、1969年(昭和44年)にグリーン車「クロ481-5」として誕生し、東北地方で活躍していました。

後に1983年(昭和58年)に鹿児島車両所に配属となり、普通座席車へ改造されて「クハ 481-603」と車号が変わりました。九州では日豊本線回りの宮崎特急「にちりん」、長崎本線回りの長崎特急「かもめ」、鹿児島本線回りの熊本特急「有明」として使用されたのち、1997年(平成9年)以降は小倉工場で保存されていました。

この交直流兼用特急電車が九州で使用されるきっかけになったのが、鹿児島本線の熊本電化だそうです。それまではディーゼル特急やディーゼル急行が主役だった九州に使用する、ということで白羽の矢が立ったのが481系だそうです。

ちなみに今では、東海道・山陽新幹線の顔でもある「ひかり」号の名前も、元はといえば1958年(昭和33年)にキハ55形気動車を使用して博多~別府間に運転を開始した、九州初のディーゼル急行でした。その後、急行「ひかり」号は一旦準急へと格下げになるものの、数年後には再び急行列車に返り咲き、九州を代表する列車として親しまれました。

そして1964年(昭和39年)10月1日、「急行」から「超特急」という「二階級出世」で、東海道新幹線の名前に採用されました。後の1975年(昭和50年)、山陽新幹線は博多駅乗り入れを果たして「ひかり」号は「九州に錦を飾る」ことになったのです!

それでは「クハ 481-603」の車内を見てみることにしましょう。青いシートがずらりと並び「これぞ特急電車!」という感じがしますよね!

座席は簡易リクライニングシートになっています。このシート、身体を起こすとリクライニングが戻ってしまう事から通称「バッタンシート」とも呼ばれていました。青森行きの急行「八甲田」で14系座席車の「バッタンシート」に当たったことがありますが、これのリクライニングが戻った時の音が大きく、深夜の時間帯はどことなく気まずくなったのを覚えています。

洗面所の所も昔のままに保存されています。おっと、左側には懐かしいものがありますね!

かつての新幹線や特急列車の洗面所には必ずあった冷水機。折り畳み式の紙コップで飲む水がまた、冷たくて美味しかったんですよね!新幹線には割合晩年まで設置されていましたが、ペットボトルの普及などにより、姿を消しました。

洗面所もこんな感じです。昔の長距離列車時代を、思い出させてくれます。

このボンネット型特急電車、最後まで活躍していたのが上野~金沢間の夜行急行「能登」号でした。私も最終日、上野駅へ見送りに行きましたが、最後の汽笛が鳴って上野駅を発車した時は、感情が高まって涙を流したほどです。その数ヶ月前、偶然にも糸魚川から越後湯沢間で特急「はくたか」号の代走として走った時に乗れたのが、貴重な思い出となりました。

ボンネット特急電車よ、永遠なれ!

クルージングトレイン「ななつ星in九州」も来ていた、門司港駅付近の鉄道の様子をiMoveで動画にしてみました。良かったら、チャンネル登録もどうぞよろしくお願いいたします。

【鉄博が面白い!】鉄道博物館のキハ41307号車に迫る!

皆様こんばんは、「てつきち」です。いかがお過ごしでしょうか?毎週月曜日と木曜日は「てつきちの日」ですが、昨日は疲労のため更新をお休みしてしまい、申し訳ございませんでした。そこで本日、1日遅れで発信したいと思います。

今回は大宮にあります鉄道博物館の、国鉄キハ41307号車についてお届けしたいと思います。

この車両・キハ41307号車が生まれたのは1934年(昭和9年)1月のことで、川崎車輛製です。当時はガソリンエンジンを取り付けたガソリンカーで、「機械式変速機」を備えていました。そのため連結運転の際の総括制御が出来なかったので、連結運転の際はそれぞれに運転士が乗務して、ブザーの合図でクラッチレバーをロー、セカンド、サード、トップと変速していた手間のかかるものでした。

キハ07形の一部が後年、総括制御可能車に改造されたのに対してこのキハ41000形(後のキハ04形)は、国鉄時代は最後まで総括制御化はされませんでした。

このキハ41307号車は、主に小海線(小諸~小淵沢間)で使用されており、後に「キハ04 8」に改番されました。

そして1958年(昭和33年)には、静岡県の遠州鉄道へ移籍して、同社のキハ802号車となりました。遠州鉄道と言えば、電化私鉄なのに何故キハが走るのか?とお思いの方も多いかと思われます。

この当時、浜松市と天竜市を直結して浜松から遠江二俣(現在の天竜二俣)を結ぶ直通列車が計画されました。しかし国鉄二俣線(現在の天竜浜名湖鉄道)は非電化路線。そのためには専用のキハが必要だ、ということで遠州鉄道は国鉄から3両のキハ04の払い下げを受けたのです。

ドアエンジンが設けられて自動扉に改造され、エンジンもガソリンエンジンからディーゼルエンジンに載せ替えられた3両のキハ04改めキハ800形は、新浜松発遠江二俣行きの直通列車として1日4往復が設定され、後には運転区間が遠江森(現在の遠州森)まで延伸されました。

この直通列車は歓迎をもって迎えられましたが、車両自体が老朽化していた上に電車線(現在の西鹿島線・新浜松~西鹿島間)のダイヤが過密化してきて、運行が難しくなりました。

結局、遠州鉄道の国鉄二俣線乗り入れは1966年(昭和41年)9月末をもって廃止となり、お役御免となった3両のキハ04は、石川県の北陸鉄道能登線(羽咋~三明間)へ移籍し、同線の「キハ5211」号車となりました。

その車内です。鉄道博物館がリニューアルした際、当時の様子をより感じてもらおうという事で、車窓シアターが新設されました。

北陸鉄道の路線では唯一の非電化路線だった能登線ですが、ここで変速機が載せ替えられて「機械式」から「液体式」になり、連結運転の際の総括制御が可能になりました。しかし北陸鉄道能登線も、1972年(昭和47年)6月24日で全線廃止。キハ5211には「さようなら能登線」と書かれたヘッドマークが付けられ、最終列車としての任務を担いました。

幸いにもこの「キハ5211」号車は、僚友のキハ5212号車、キハ5251号車、キハ5301号車と共に茨城県の関東鉄道への移籍が決まり、キハ5251号車は常総線、それ以外の3両は筑波線に配属となって「キハ461」となりました。

同じ遠州鉄道からやって来た仲間の「キハ5213」号車は、千里浜ドライブウェイ付近で食堂として使用されていましたが、食堂の廃業と共に解体されました。

筑波線で活躍していた「キハ461」は、1985年(昭和60年)に廃車となりました。僚友の「キハ462」は一足先の1981年(昭和56年)に廃車解体されましたが、「キハ461」は真鍋の車庫で保管されていました。

後に1987年(昭和62年)3月31日、筑波鉄道が廃止されると、鉄道愛好家の団体が購入し、つくば市内の公園で保存活動が行われてきました。

さらに2007年(平成19年)、東日本鉄道文化財団に寄贈されて、現在の鉄道博物館(埼玉県さいたま市)に安住の地を見付けたのです。この時に、登場当時に近い「キハ41307」の姿に復元されたのでした。

鉄道博物館で他の車両と並ぶその姿。それは昔話を孫たちに語っているおじいちゃんの様にも見えました。

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【奇跡のショット!】2台揃った京王バス東の「ワンロマ復刻塗装車」

皆様こんばんは、「てつきち」です。いかがお過ごしでしょうか?毎週月曜日と木曜日は「てつきちの日」。今日も乗り物の話題をお届けしたいと思います。

今日の1枚は先日、永福町にある京王バス東の車庫で撮影したものです。従来の塗装車を挟むかの様に「ワンロマ復刻塗装車」が停車していましたので、思わず1枚。

では「ワンロマ車」とは一体、どんなバスのことを言うのでしょうか?

京王バスの場合、正式名称は「路線・高速兼用車」といい「ワンマン・ロマンス」の略称から「ワンロマ車」の通称で呼ばれていました。

この「ワンロマ車」が登場したのが、昭和50年代前半。当時の京王帝都電鉄バスは、路線網の拡張で新車を何両も増備していました。また浜松町・新宿~富士五胡間(現在、浜松町発は廃止されました)を走っていた「中央高速バス」は休日ともなると増発、増車が相次ぎ、料金箱設備のない貸切車まで車掌さんを乗せて駆り出すという状態でした。

そこで1978年の「中央高速バス甲府線」開業を機に、路線バス・高速バス両方で使用できるタイプのバスを登場させよう、という事で登場したのが、初代の「路線・高速兼用車」でした。

これが初代「ワンロマ車」のカラーリングです。平日は一般の路線バスに使用するという事で、2ドアにつり革と通勤仕様でしたが、車内は高速バスに対応できるようにリクライニングシートが設けられました。

数年後に登場したのが、トップ画像の左側にある「白と緑のワンロマ車」です。塗装は白色ベースに、オレンジやグリーンでカラーリングされ、降車用扉は4枚の折戸式となっていました。

中央高速バスの増発便に使用するという事で、方向幕には「河口湖」「山中湖」「本栖湖」「甲府駅」等の表示も入り、主に永福町と中野の営業所に集中配置され、平日は新宿駅西口~中野車庫間、新宿駅西口~永福町間等の一般路線バスに、休日は「中央高速バス」の増発便としてフレキシブルに活躍しました。

1986年頃には3代目の「ワンロマ車」が登場し、こちらは黒をベースとした貸切車と同一のカラーリングになりました。

しかし年月が経つにつれ、一般便と「ワンロマ車」による増発便のサービス格差が出たことや、車内が観光仕様であったため、ラッシュ時の使用に困難をきたしたことから、次第に「中央高速バス」の増発便は、貸切車に車掌さんを乗せてまかなう事が多くなりました。

こうしてかつての「ワンロマ車」は、一般路線車へ格下げされ、中には座席のリクライニング装置を撤去したバスもありました。そして短距離の貸切や、大学等の契約輸送専用車に転用され、波瀾万丈な人生を終えたのです。

子供の時に京王バスに乗った時、このバスが来たら「あー、ラッキー!」と思った事を、今も覚えています。そんな懐かしい時代のカラーリングを復活して下さった京王バスさんに脱帽です!

京王バスと言えば、こんな動画を作ってみました!良かったら、チャンネル登録もどうぞよろしくお願いいたします。

【鉄道スケッチ】頑張れ、長野電鉄の「マッコウクジラ」!

皆様、おはようございます。「てつきち」です。毎週月曜日と木曜日は「てつきちの日」。いかがお過ごしでしょうか?

今日も前回同様、長野電鉄から話題をお届けします。今回ご紹介しますのが、長野電鉄3500系(2両編成)、3600系(3両編成)です。こちらは元営団地下鉄日比谷線で活躍していた車両で、今でも通勤通学輸送の第一線で活躍しています。

1981年(昭和56年)に長野市内の地下線(長野~市役所前間)が開業した時、従来から走っていた旧型電車を屋代線へ回して、元・東急の「アカガエル」5000系を2500系にして、通勤用の主力で活躍させました。

その後、2500系電車が老朽化などで引退して入線したのが、元・営団地下鉄日比谷線の3500系(2両編成)、3600系(3両編成)です。

この後に長野電鉄入りした、元東急の8500系はブレーキの関係で信州中野〜湯田中間を走れないため、全線に渡り活躍しています。

須坂駅に留置してある編成です。長野電鉄に入線した編成には、窓下に、赤帯が巻かれていますがら、こちらは元の姿に戻されていました。

さて長らく活躍してきた、この長野電鉄3500系も同じ東京メトロ日比谷線から後継車として03系が入線してきました。本来でしたら、間もなく交代の儀式となりますが、コロナの影響で2022年を目処に3500系、通称「マッコウクジラ」は引退だそうです。

ちなみに一足先に現役を引退した第1編成は東京メトロへの里帰りを果たし、現在では日比谷線時代の姿に復元されて綾瀬の車両基地で保管されています。こちらはイベントの時などに公開されており、懐かしい行先の方向幕も出ます。

コロナ収束後には、是非長野への撮影はいかがでしょうか?

※この情報は、緊急事態宣言以前に歩いて調べたものです。そのため、現在では緊急事態宣言を受けて営業休止や閉鎖になっている場合もありますので、宣言解除後のご来訪の折は最新の情報を確認されます様、よろしくお願いいたします。