【乗車体験記】日比谷線「THライナー」乗りました!

皆様、おはようございます。「てつきち」です。毎週月曜日と木曜日は「てつきちの日」として、週に2回更新してきましたが、最近職務多忙により、週2回の更新が厳しい状況となりました。

そこで落ち着くまでの当面の間、毎週月曜日のみの更新とさせていただきます。

先日、運転を開始した東京メトロ日比谷線と東武スカイツリーラインを直通する通勤ライナー「THライナー」。早速、仕事帰りに霞ヶ関から久喜まで乗ってきました。

霞ヶ関駅は2分に1本電車が来る、超過密ダイヤ。そのためスマホで写真を撮り、ダイジェストとして動画に編集いたしましたので、是非ご覧ください。

座席は各座席の下にコンセント完備で、ゆったりしていました。車内Wi-Fiも完備していて、車内でのスマホでの調べものにも便利です。

最後の停車駅・上野駅を出ると、次の客扱い駅は新越谷駅。その間、乗務員交代として北千住駅に運転停車します。西新井までは各駅停車(日比谷線直通線)を走り、その先は急行線(通過線)を突っ走るという変わった線路の利用をしています。

新越谷からは、せんげん台、春日部、東武動物公園、久喜の各駅に停まります。尚、いずれも降車専用駅で「東武線区間のみの利用」は出来ない様になっています。

こうなると今度は、東上線系統の「TJライナー」と乗り比べもしてみたくなりました。

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【素敵な駅です!】海を一望できる、江ノ島電鉄(江ノ電)鎌倉高校前駅!

皆様こんばんは、「てつきち」です。いかがお過ごしでしょうか?毎週月曜日と木曜日は「てつきちの日」。今日も、乗り物に関する話題をお届けしていきたいと思います。

今日の1枚は、頂き物から一つ。

鎌倉と藤沢の間を結ぶ電車・江ノ島電鉄(江ノ電)。その駅の中でも最も海に近い「鎌倉高校前」駅は、ホームから海岸線や江ノ島を一望できる素敵な駅です。その風景の美しさから「関東の駅百選」にも選ばれている程です!

そこに江ノ電一の人気者・305号電車の編成がやってきました!近代化が進む江ノ電の電車の中では、今では最古参になってしまった「305=355号編成」です。今では、見られればラッキー!という存在になりました。

この鎌倉高校前駅すぐそばの踏切は、漫画「スラムダンク」にも出てきた踏切で、今は「聖地巡礼」する人も多いようです。

駅に入線してくる10形電車です。オリエント急行をイメージした、欧風塗装になっています。1電車見送り、ボーっと海を眺めているだけでも癒されますね!

江ノ島へ向けて走っていく1000形電車です。これから夏の海水浴のシーズンですが、コロナ騒ぎの今年はどうなるのしょうね。夏になると、各駅から水着のまま乗ってくるお客さんが多かったことから、各駅や車内には「水着姿での着席はご遠慮ください」なんていう貼り紙がしてあったのも、今となっては昔話になりそうです。

でも江ノ電が一番イキイキと走っているのは、6月の紫陽花から8月の海にかけての季節だと言えましょう。鎌倉~藤沢間の小さな電車旅。皆様も是非、いかがでしょうか?

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【元祖・特急電車!】九州鉄道記念館のクハ481-603号車

皆様こんばんは、「てつきち」です。毎週月曜日と木曜日は「てつきちの日」。いかがお過ごしでしょうか?

今日の1枚は、門司港にある「九州鉄道記念館」から1枚。車両展示場の所にあった、懐かしの「ボンネット特急電車」です!車号は「クハ481-603」といい、1969年(昭和44年)にグリーン車「クロ481-5」として誕生し、東北地方で活躍していました。

後に1983年(昭和58年)に鹿児島車両所に配属となり、普通座席車へ改造されて「クハ 481-603」と車号が変わりました。九州では日豊本線回りの宮崎特急「にちりん」、長崎本線回りの長崎特急「かもめ」、鹿児島本線回りの熊本特急「有明」として使用されたのち、1997年(平成9年)以降は小倉工場で保存されていました。

この交直流兼用特急電車が九州で使用されるきっかけになったのが、鹿児島本線の熊本電化だそうです。それまではディーゼル特急やディーゼル急行が主役だった九州に使用する、ということで白羽の矢が立ったのが481系だそうです。

ちなみに今では、東海道・山陽新幹線の顔でもある「ひかり」号の名前も、元はといえば1958年(昭和33年)にキハ55形気動車を使用して博多~別府間に運転を開始した、九州初のディーゼル急行でした。その後、急行「ひかり」号は一旦準急へと格下げになるものの、数年後には再び急行列車に返り咲き、九州を代表する列車として親しまれました。

そして1964年(昭和39年)10月1日、「急行」から「超特急」という「二階級出世」で、東海道新幹線の名前に採用されました。後の1975年(昭和50年)、山陽新幹線は博多駅乗り入れを果たして「ひかり」号は「九州に錦を飾る」ことになったのです!

それでは「クハ 481-603」の車内を見てみることにしましょう。青いシートがずらりと並び「これぞ特急電車!」という感じがしますよね!

座席は簡易リクライニングシートになっています。このシート、身体を起こすとリクライニングが戻ってしまう事から通称「バッタンシート」とも呼ばれていました。青森行きの急行「八甲田」で14系座席車の「バッタンシート」に当たったことがありますが、これのリクライニングが戻った時の音が大きく、深夜の時間帯はどことなく気まずくなったのを覚えています。

洗面所の所も昔のままに保存されています。おっと、左側には懐かしいものがありますね!

かつての新幹線や特急列車の洗面所には必ずあった冷水機。折り畳み式の紙コップで飲む水がまた、冷たくて美味しかったんですよね!新幹線には割合晩年まで設置されていましたが、ペットボトルの普及などにより、姿を消しました。

洗面所もこんな感じです。昔の長距離列車時代を、思い出させてくれます。

このボンネット型特急電車、最後まで活躍していたのが上野~金沢間の夜行急行「能登」号でした。私も最終日、上野駅へ見送りに行きましたが、最後の汽笛が鳴って上野駅を発車した時は、感情が高まって涙を流したほどです。その数ヶ月前、偶然にも糸魚川から越後湯沢間で特急「はくたか」号の代走として走った時に乗れたのが、貴重な思い出となりました。

ボンネット特急電車よ、永遠なれ!

クルージングトレイン「ななつ星in九州」も来ていた、門司港駅付近の鉄道の様子をiMoveで動画にしてみました。良かったら、チャンネル登録もどうぞよろしくお願いいたします。

【鉄博が面白い!】鉄道博物館のキハ41307号車に迫る!

皆様こんばんは、「てつきち」です。いかがお過ごしでしょうか?毎週月曜日と木曜日は「てつきちの日」ですが、昨日は疲労のため更新をお休みしてしまい、申し訳ございませんでした。そこで本日、1日遅れで発信したいと思います。

今回は大宮にあります鉄道博物館の、国鉄キハ41307号車についてお届けしたいと思います。

この車両・キハ41307号車が生まれたのは1934年(昭和9年)1月のことで、川崎車輛製です。当時はガソリンエンジンを取り付けたガソリンカーで、「機械式変速機」を備えていました。そのため連結運転の際の総括制御が出来なかったので、連結運転の際はそれぞれに運転士が乗務して、ブザーの合図でクラッチレバーをロー、セカンド、サード、トップと変速していた手間のかかるものでした。

キハ07形の一部が後年、総括制御可能車に改造されたのに対してこのキハ41000形(後のキハ04形)は、国鉄時代は最後まで総括制御化はされませんでした。

このキハ41307号車は、主に小海線(小諸~小淵沢間)で使用されており、後に「キハ04 8」に改番されました。

そして1958年(昭和33年)には、静岡県の遠州鉄道へ移籍して、同社のキハ802号車となりました。遠州鉄道と言えば、電化私鉄なのに何故キハが走るのか?とお思いの方も多いかと思われます。

この当時、浜松市と天竜市を直結して浜松から遠江二俣(現在の天竜二俣)を結ぶ直通列車が計画されました。しかし国鉄二俣線(現在の天竜浜名湖鉄道)は非電化路線。そのためには専用のキハが必要だ、ということで遠州鉄道は国鉄から3両のキハ04の払い下げを受けたのです。

ドアエンジンが設けられて自動扉に改造され、エンジンもガソリンエンジンからディーゼルエンジンに載せ替えられた3両のキハ04改めキハ800形は、新浜松発遠江二俣行きの直通列車として1日4往復が設定され、後には運転区間が遠江森(現在の遠州森)まで延伸されました。

この直通列車は歓迎をもって迎えられましたが、車両自体が老朽化していた上に電車線(現在の西鹿島線・新浜松~西鹿島間)のダイヤが過密化してきて、運行が難しくなりました。

結局、遠州鉄道の国鉄二俣線乗り入れは1966年(昭和41年)9月末をもって廃止となり、お役御免となった3両のキハ04は、石川県の北陸鉄道能登線(羽咋~三明間)へ移籍し、同線の「キハ5211」号車となりました。

その車内です。鉄道博物館がリニューアルした際、当時の様子をより感じてもらおうという事で、車窓シアターが新設されました。

北陸鉄道の路線では唯一の非電化路線だった能登線ですが、ここで変速機が載せ替えられて「機械式」から「液体式」になり、連結運転の際の総括制御が可能になりました。しかし北陸鉄道能登線も、1972年(昭和47年)6月24日で全線廃止。キハ5211には「さようなら能登線」と書かれたヘッドマークが付けられ、最終列車としての任務を担いました。

幸いにもこの「キハ5211」号車は、僚友のキハ5212号車、キハ5251号車、キハ5301号車と共に茨城県の関東鉄道への移籍が決まり、キハ5251号車は常総線、それ以外の3両は筑波線に配属となって「キハ461」となりました。

同じ遠州鉄道からやって来た仲間の「キハ5213」号車は、千里浜ドライブウェイ付近で食堂として使用されていましたが、食堂の廃業と共に解体されました。

筑波線で活躍していた「キハ461」は、1985年(昭和60年)に廃車となりました。僚友の「キハ462」は一足先の1981年(昭和56年)に廃車解体されましたが、「キハ461」は真鍋の車庫で保管されていました。

後に1987年(昭和62年)3月31日、筑波鉄道が廃止されると、鉄道愛好家の団体が購入し、つくば市内の公園で保存活動が行われてきました。

さらに2007年(平成19年)、東日本鉄道文化財団に寄贈されて、現在の鉄道博物館(埼玉県さいたま市)に安住の地を見付けたのです。この時に、登場当時に近い「キハ41307」の姿に復元されたのでした。

鉄道博物館で他の車両と並ぶその姿。それは昔話を孫たちに語っているおじいちゃんの様にも見えました。

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【鉄道速報!】阪神電車から「青胴車」も2023年までに引退へ!

皆様こんばんは、「てつきち」です。いかがお過ごしでしょうか?毎週月曜日と木曜日は「てつきちの日」。今日も乗り物の話題をお届けしたいと思います。

さて、大阪の阪神電車から驚きの話題が飛び込んできました!

それは先日お話した、武庫川線の「赤胴車」7961形に続いて、本線系統の普通車に使用されている5001形(二代目)が、老朽化とバリアフリーの問題から、2023年を目途に全車引退するというものです。

この5001形(二代目)は、普通電車用に急加速・急減速が出来るような機能を備え、別名「ジェットカー」と呼ばれていました。1977年(昭和52年)に、普通電車の冷房化をも目指して登場し、初代5001形を引退させました。

側面の阪神のマークも輝いていますね!

しかし、老朽化とバリアフリー化が進む中で、世代交代の波が阪神電車にも押し寄せてきました。武庫川支線の「赤胴車」7961形に続いて、この青とクリームの塗装が目印の「青胴車」も、間もなく引退。今では各駅停車でしか見なくなっただけに、引退の日まで是非、撮影や乗車しておきたいものです。

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