【電車のファーストクラス!】京阪特急「プレミアムカー」



皆様こんばんは、「てつきち」です。毎週月曜日は「てつきちの日」。今週も楽しい乗り物の話題をお届けしましょう。

先日、京都へ行ってきました。祇園四条駅から淀屋橋駅までは京阪特急の旅。そこで特別車両「プレミアムカー」を奮発!

こちらがその車内です。2-1列のフルリクライニングシートが並んでいます。

こちらが1人掛けの座席です。各座席には専用のコンセントもあり、車内限定のWi-Fiも完備されています。

一番車端の席に座ったのですが、シートピッチもたっぷり!JRのグリーン車も顔負けのゆったり感です。

祇園四条駅から淀屋橋駅までの旅はあっという間の旅でした。この「プレミアムカー」の特別料金は500円。ゆったりと帰りたい時には、お値打ちの価格です。

この8000系の「プレミアムカー」が好評なので、3000系特急車にも連結を始めて、近い将来には特急は全便「プレミアムカー」連結にするそうです。

京都と大阪の間の誘客戦争は、戦前から当時の鉄道省(後の国鉄)と京阪の間で繰り広げられていました。京阪では急行用ロマンスカーを導入したり、天満橋から大津までの直通特急「びわこ」号を運転した他、大阪天神橋から京阪京都(現在の阪急京都線「四条大宮」駅)まで新線である「新京阪線」を子会社として開通させて、怪物とまで言われた高性能かつ高出力の特急電車「P-6」(PとはPassenger[旅客]の略)を投入しました。

この「P-6」形はセミクロスシートを導入し、運転室仕切り扉上の幕板部には、電動幕式の駅名表示器まで備えた程のデラックス車両でした。これは将来「新京阪線を名古屋まで延長する」という計画の下で造られたものですから、如何に京阪がこの「京阪間誘客戦争」に力を入れていたかがお分かりになるのでは、と思われます。もしもこの新京阪線が名古屋まで延びていたら、現在はどうなっていたのでしょうね?

この「P-6」の名前を一躍有名にしたのが、「当時最速と言われた、国鉄の超特急『燕』号を追い抜いた!」という逸話です。現在の大山崎駅付近で新京阪線は国鉄東海道本線と併走しますが、悠々と走っていた国鉄の超特急『燕』号を追いかける様に、新京阪線の「P-6」による大阪天神橋~京阪京都間の超特急列車が一気にスピードを上げ、国鉄の超特急『燕』号を追い抜く。1933年(昭和8年)の路線図には「燕より速い特急行三十四分京阪電車」というフレーズが記載されていた程です。

戦争中に京阪電鉄は阪神急行電鉄と合併して「京阪神急行電鉄」となりましたが、戦後に「京阪電気鉄道」となりました。この時「新京阪線」「京阪神急行電鉄」に残り、後の阪急京都線となりました。

そうなりますと「京阪間誘客戦争」は、国鉄、阪急、京阪の三つ巴の大戦争となりました。京阪が新車を入れれば、阪急もクロスシートの特急車を走らせる。国鉄も急行運転に力を入れる。

そんな中で京阪は「快適な移動手段を」ということで1954年(昭和29年)、1800系特急車に何とテレビを備え付けた「テレビカー」を登場させました。当時のテレビ受像機は高嶺の花で、庶民は街頭テレビなどに向かっていたことからこのサービスは大好評を得ました。東の京成電鉄に1年遅れを取った「テレビ付き特急電車」でしたが、こちらは座席指定料金不要の破格のサービスでした!

後の1810系、1900系、3000系にも「テレビカー」は受け継がれ、3000系からは時代の流れでカラーテレビになりました。この様に京阪特急で「テレビ付き特急電車」が実現した背景には、沿線に松下電器(現在のパナソニック)の本拠地があって協力を得られたからこそとも言えます。

そしてこの8000系の中間車にも、衛星放送対応のテレビとカード式公衆電話を取り付けましたが、特急の停車駅が増えたことで旅客のニーズが変わった事や、携帯電話のワンセグ機能が普及したことから「テレビカー」の役目は終わった、と判断されて8000系の車内テレビは次々と取り外されていきました。

尚、富山地方鉄道に移籍した3000系のうち、1編成は赤と黄色の「京阪特急カラー」に復元され、後に移籍した二階建車両を中間車に組み込んだ観光列車「ダブルデッカーエキスプレス」として線内特急等に使用されています。この編成では2012年(平成24年)「テレビカー」も復活しました。

しかし、ライバルである阪急も負けてはいられません。十三~大宮間ノンストップ運転の他、2800系、6300系、9300系とゆったりした転換式クロスシートを導入した特急電車を就役させました。特に6300系は、特別料金不要の電車で一番最初にカード式公衆電話を設置した最初の電車でした。(地下区間である西院~河原町間では使用不可能)

また6300系6両を観光列車に改造した「京とれいん」を登場。梅田~河原町間の快速特急運用で就役させ、今年の春には第二弾である「京とれいん雅洛」を登場させました。こちらは神戸線車両をベースとしたもので、車両限界の違う神戸線・宝塚線から直通運転を視野に入れた登場でした。

国鉄改めJR西日本も負けてはいません!153系で「新快速」を登場、117系、221系、223系と新車を次々とデビュー。さらにはこの春より、「新快速」の一部列車に「Aシート」という指定席を設けました。

スピードだけでなく、移動の快適性も競うこの「京阪間誘客戦争」、軍配が上がるのはどこでしょうね!

【ラッピング電車】拝島ライナーの「コウペンちゃん電車」


皆様こんばんは、「てつきち」です。いかがお過ごしでしょうか?

今日のショットは、先日撮影した「コウペンちゃん」ラッピングによる、西武拝島線「拝島ライナー」です。ちょうど夕焼けのいい感じの時に停車して、絵になる光景に撮れました。

西武鉄道は、今年の春から「コウペンちゃん」とタイアップしてイベントを開催したり、40000系電車にラッピングを施したりしています。このラッピング車は今月いっぱい、新宿線と拝島線で走るそうです。

主に夕方の下り「拝島ライナー」に使用され、折り返しの各駅停車・小平行きになり、その後回送で西武新宿。そこからまた下り「拝島ライナー」、という運用が多いようです。

スマホの「西武鉄道アプリ」では、現在どの電車(ラッピング車や特殊塗装車も含む)がどの位置を走っているかをリアルタイムに提供しています。撮影の参考に是非、いかがでしょうか?

側面のラッピングもこんな感じで、思わずワクワクしてきますね!

拝島へ向かって走っていく姿を後から撮影してみました。我ながらいい絵になりました。

【保存車両】北陸鉄道加南線6010系「しらさぎ」号(石川県加賀市)



皆様こんばんは、「てつきち」です。毎週月曜日は「てつきちの日」。今日の話題は、北陸は石川県加賀市からお送りいたします。

北陸を代表する温泉地「加賀温泉郷」。山代温泉、山中温泉、片山津温泉、粟津温泉を総称して言うこの温泉郷へは、かつて北陸本線の各駅から北陸鉄道加南線(かなんせん)がアクセスしていました。これは片山津線、粟津線、動橋線、連絡線、山中線の総称でした。加賀温泉郷を控えていたことから、1951年(昭和26年)からはセミクロスシートの観光電車を導入して、主に山代温泉や山中温泉へと向かう系統で走っていました。

翌1962年(昭和37年)には、6000系「くたに」号が登場しました。純然たる新車で、オレンジとクリームの「北陸鉄道カラー」。地元の伝統工芸品である九谷焼から名前を付けて、先頭部には九谷焼で出来た「くたに」のヘッドマークが取り付けられました。

その後1963年(昭和38年)に導入されたのが、この6010系「しらさぎ」号です。下回りや走行機器は従来車からの流用でしたが、車体は日本の高速電車では2番目となるアルミ合金製軽量車体が採用されました。その姿と、加南線終点に所在する山中温泉は鎌倉武士が浴する白鷺を見て発見されたという伝説から、「しらさぎ」号の愛称が与えられました。

扉間に転換式クロスシートを配し(車端部はロングシート)「観光電車」に相応しい作りだった6010系「しらさぎ」号と6000系「くたに」号は、たちまち加南線の主役となり、車内では民謡・山中節のメロディーまで流されていたそうです。しかし、加南線の黄金時代も長くは続かなかったのでした。モータリゼーションの発達で1962年(昭和37年)に粟津線、1965年(昭和40年)に片山津線が廃止されたのをきっかけに、北陸鉄道は鉄道線の全線廃止まで検討されました。これには地元自治体が猛反対し、合理化の結果、石川総線と浅野川線のみ残すことを決定しました。

と同時に、国鉄北陸本線の特急停車駅を大聖寺駅にするか動橋駅にするかについては沿線自治体間で激しい争いが続いた結果、国鉄が両駅の中間の作見駅を「加賀温泉駅」に改称した上で拠点的な特急停車駅とし、従来加南線各線を利用していた温泉観光客が加賀温泉駅経由でのアクセスに移行したことで当線の乗客数が激減していた経緯があり、1971年(昭和46年)7月11日に北陸鉄道加南線は全線廃止されたのです。

「しらさぎ」号と「くたに」号は、「加南線電車 さようならのヘッドマークを取り付けられて全線を運行。最終日の午後からは電車の乗車が無料開放となり、沿線住民の他、温泉観光客も加わって大混雑となりました。

そして最後、山代温泉駅に「しらさぎ」号と「くたに」号が並んで、北陸鉄道加南線の歴史に終止符が打たれたのでした。

この「しらさぎ」号と「くたに」号は、幸運にも静岡県の大井川鐵道に再就職が決まり、2編成揃って移籍しました。「しらさぎ」号は、性能が旧型だったことから部品確保や走行装置の確保が容易だったため、大井川鐵道では長らく主要車輌として活躍。時には有料急行電車としても活躍しました。

1989年(平成元年)に新金谷駅で撮影した6010系「しらさぎ」号です。ワンマン改造されたり、車内にジュース類の自動販売機が設置された他は、北陸鉄道加南線時代のままで走っていました。

1995年(平成7年)に千頭駅で撮影した時のものです。雨の日ということもあって、アルミ製の車体が輝いているかのようにも見えました。

大井川鐵道時代の6010系「しらさぎ」号の車内です。北陸鉄道加南線時代とはシートのモケットの色が違うのにお気づきでしょうか?車内には花も飾ってあり、この時代が一番生き生きとしていた時代なのかもしれませんね。

しかし2000年(平成12年)頃になると、さすがに車体のくたびれや部品確保の困難が出てきました。そして2001年(平成13年)に引退となり、長い事千頭駅構内に留置されていました。

その後2005年(平成17年)に本系列ゆかりの地である石川県江沼郡山中町(現・加賀市)での保存が決定しました。これは同年に市町村合併に伴い消滅することが決定した山中町より「地元の記念品として町内に展示保存したい」との申し入れがあり、それを快諾した大井川鐵道が本系列を同町へ無償譲渡したものです。

そして新金谷からトレーラーで運ばれ、現在は「道の駅山中温泉 ゆけむり健康村」に静態保存されています。

大井川鐵道から山中温泉へ里帰りした際に、北陸鉄道の社紋も復活されました。地元の人の「電車に対する愛情」をも感じます。

足回りにもガラスのはめられた、独特の形の乗降用ドアーです。大井川鐵道時代は、ここから「深い渓谷を見る事が出来る」と好評でした。

当時のままに残っている運転席です。右側には、大井川鐵道時代に取り付けられたワンマン装置が残っています。

大井川鐵道時代に取り付けられたワンマン装置です。ワンマン料金箱の操作やドアの開閉も、このスイッチで行っていました。

この電車も、少しくたびれかけた所が出ているのが気になります。でも「地元を走った証である」という話が長く受け継がれ、いつまでも残って欲しいと願わずにはいられませんでした。

最後に、姉貴分の6000系「くたに」号のお話も少ししたいと思います。共に大井川鐵道へ移籍しましたが、新性能電車故部品や走行機器の確保がままならない状態でした。そのためこの電車はトレーラー扱いになり、他の電車に牽引されないと走れない状態にまでなってしまいました。愛称も「くたに」から、南アルプスの赤石山脈に因んだ「あかいし」に変わりました。

その後小田急電鉄からデハ1906号車が移籍すると、この電車に牽引されて3両編成で走るようになり、サービス格差が大きかったことからデハ1906号車は「荷物車」扱いとなりました。

後に大井川鐵道がワンマン化されると、3両編成故ワンマン対応が出来ない同車は次第に活躍の場を失い、1994年(平成6年)の南海21000系電車第1編成導入に伴って本形式は運用から完全に離脱し、新金谷駅近くの側線に留置されていました。そして1996年(平成8年)に廃車解体されたのでした。

【頑張れニッポン!】京王線の「ワールドカップラッピング電車」


皆様、こんばんは。「てつきち」です。週末はいかがお過ごしでしたでしょうか?今日の話題は、我が地元を走る京王線からお送りいたします。

今、日本で開催されているラグビー🏉のワールドカップ。それをPRしたラッピング電車が京王線で走っています。これは沿線に、ワールドカップの会場の一つである「東京スタジアム」(飛田給駅下車)があるからです。


遠くから見ると、こんな感じです。ちなみに飛田給駅は、普段は快速と各駅停車のみが停車する駅ですが、「東京スタジアム」でコンサートなどのイベントやサッカーなどの試合のある日は、特急や準特急も臨時停車します。

そばで見てみると、こうなります。見ているだけで、日本を応援したくなりますね!思えば京王線の電車は、この様なイベントがある時はオリジナルラッピングになったり、ちょっとしたヘッドマークが付いたり、と嬉しいサービスをしてくれます。私の近所を走る井の頭線でも、お正月や交通安全輸送強化月間、東松原駅のあじさいライトアップなど季節に応じたヘッドマークが出るので、見ていて楽しくなります!

この京王線のヘッドマークなどのお話も随時、このページなどでしていけたらと思います。それでは、次回もお楽しみに。

【日本で唯一!】名古屋ガイドウェイバス「ゆとりーとライン」



皆様、こんばんは。「てつきち」です。明日は嬉しい週末。このページもWordpressを使いこなす練習として、定期更新日の毎週月曜日以外にも不定期に更新していきたいと思います。

今日の話題は、尾張名古屋発。鉄道のようで、鉄道ではない。バスのようで完全なバスではない。そんな不思議な乗り物「ガイドウェイバス」が名古屋では走っています。

その名も、名古屋ガイドウェイバス「ゆとりーとライン」

バスの始発地は、中央西線の「大曽根」駅。駅前の高架部分から発車しています。

「大曽根」を出発し、カーブを曲がるところを最前列からパシャリと1枚。

この大曽根駅~小幡緑地駅の区間は「軌道」扱いで、このバスを運転するには大型二種免許の他、無軌条電車[トロリーバス]の運転免許(無軌条電車運転免許)が必要となります。無軌条電車[トロリーバス]は、以前にもご紹介しましたが、現在では立山黒部アルペンルートの室堂~大観峰間にのみ残っています。

この区間はハンドル操作は行わず、バスの側面から出る補助車輪が高架区間(案内軌道)に接して走ることになります。また時速は60kmに抑えられ、普通の路線バスの様な「続行運転」は行われていません。高架区間内では、凡そ10分ヘッドで運行しています。

小幡緑地駅で撮影した、大曽根駅行きの「ガイドウェイバス」です。バスの様でバスではない、電車の様で電車ではない、不思議な乗り物ですね。

大曽根駅を出てすぐ、車窓右手にはナゴヤドームが見えてきます。バスを駅から撮影してみますと、両端に「案内軌道」があるのが見えます。走行音もかなり静かで、まさに「未来の乗り物」といった感じです。

バスの写真を撮りたかったので、「小幡緑地」駅で途中下車。ここで高架区間は終わり、「ガイドウェイバス」は一般の路線バスとして運行されます。

「小幡緑地」駅に入線してくる「ガイドウェイバス」です。

一見すると、普通の路線バスにしか見えませんが、この「ガイドウェイバス」は日本で唯一の存在なのです。

「小幡緑地」駅に停車中の所を1枚。

ここで「ガイドウェイバス」はスロープ(坂道)を下り、専用道(高架区間)から一般道へと入ります。

今度は一般道から専用道(高架区間)へ登って行くところを1枚。本当はもう少し近くで撮影したかったのですが、ここから先は安全のため立入禁止だったので、この様なショットになりました。次回の訪問時には、望遠レンズ持っていくぞ!

一般道への入口で信号待ちをしている「ガイドウェイバス」です。信号が変わったら一般道へと入り、途中の中志段味(なかしだみ)行きや、終点の高蔵寺行きなどに分かれて運行されます。

終点の「高蔵寺」駅に到着した「ガイドウェイバス」です。特に朝夕のラッシュ時には、一般道路区間だけでは渋滞するところを、高架区間で定時運行しているので、通勤・通学輸送にとても重宝されています。このバスが開業する前は、名古屋市内の区間は慢性的な渋滞。その渋滞とは無縁の専用軌道で走るのですから、他の渋滞が慢性的な都市でも是非、実現して欲しいものですね。

高蔵寺駅では中央西線の他、愛知環状鉄道線にも接続しており、岡崎方面へ足を伸ばすのにも便利な存在となっています。

名古屋御来訪の折には、是非いかがでしょうか。