【思い出の1枚】山陽新幹線「ウエストひかり」のビュッフェ


皆様、お久しぶりです。今日は懐かしい画像から1枚。

かつて山陽新幹線の新大阪~博多間で走っていた新幹線「ウエストひかり」。6両という短い編成ながら、座席は2列―2列になり、ゆったりとした座席に取り換えられました。これは、航空路や夜行高速バス「ムーンライト」号に対抗して、乗り心地のいい列車で勝負、というJR西日本ならではの思いでした。

6両編成、という短い編成ながら中間車にはビュッフェも設けられました。従来カウンターで立ち食い型のビュッフェを大改造して、ファミレスのような座席配置にしました。ビュッフェ営業休止時には、旅のサロン的な役割をしていました。

扉側の画像を撮ってみました。デジタル式の速度計や、テレホンカード式の車内公衆電話、テレホンカードの自動販売機などに時代を感じます。この画像は1998年(平成10年)に撮影したもので、既にビュッフェの営業は行われていませんでした。

当時、東海道・山陽新幹線の食堂車や車内販売を担当していた会社には、日本食堂(後にジェイダイナー東海、と改名)、帝国ホテル、都ホテル、B.T(ビュッフェとうきょう)がありましたが、この「ウエストひかり」では、大阪の大手給食会社・丸玉食品(現在のマルタマフーズ)「M-Rest」として、1往復のみ担当しました。

「M-Rest」が担当していた時のビュッフェメニューです。新大阪駅を早朝に出発する列車だったので、モーニングセットがメニューにありますね。利用した方の話によれば、カレーライスが特に美味だったとか。

この「ウエストひかり」は好評で、後には12両編成にまで増強され、車内で映画が楽しめる「シネマカー」まで連結されたこともありました。しかし車両の老朽化や、「のぞみ」号の増発に伴って「ウエストひかり」は廃止。今となっては思い出の列車となりました。

【名物駅弁】東海道本線・静岡駅「鯛めし」


皆様、こんばんは。「てつきち」です。関東地方も遂に梅雨入りしたみたいですね。私の地元を走る京王井の頭線沿線には、多くの紫陽花(あじさい)の花が植えられ、目を和ませてくれます。また東松原駅のライトアップ、撮りに行こうかな。

今日も駅弁の話題で、本日ご紹介いたしますのは東海道本線・静岡駅の名物駅弁「鯛めし」です。

この駅弁、何と発売されたのは明治時代なのです!

その歴史を紐解くには、1889年(明治22年)にまで歴史を遡ることになります。この年、静岡駅が開業したのですが同時に市内で大火が発生してしまい、駅近くの市の中心部が殆ど焼けてしまうほどの火事になりました。現在、静岡駅で駅弁を発売している東海軒さんの前身である加藤弁当店の主・加藤滝蔵さんは、自分の店が燃えているのも物とせず、救命・消火活動に身を挺していました。そして呼吸器をやられ、病の床に伏せってしまいます。

加藤弁当店は焼け跡で営業を再開し、奥さんのかくさんが店を切り盛りしていました。出入りの魚屋さんは毎日、「滝蔵さんの見舞いに」とアマダイを数匹置いていきました。しかしこのアマダイという魚は、火を通すと身がボロボロに崩れてしまうので、お弁当の素材としては使用できませんでした。そこでかくさんは、このアマダイを甘く煮つけ、おぼろにして食べていました。

そんなある日のことです。鉄道の高官方が子供連れで滝蔵さんのお見舞いに来ました。しかし、その子供は偏食が激しかったのか、出されたご馳走に一向に箸を付けようとしませんでした。

そこで一計を案じたかくさんは、アマダイのおぼろを乗せたご飯を「たいのご飯だよ」と言って子供に食べさせたところ、子供は大喜びで食べました。これを病床で聞いていた滝蔵さんは、かねてから「子供でも美味しく食べられる駅弁は出来ないか」と考えており、かくさんと調理人の長谷川氏と共に、この鯛のおぼろご飯を何とか駅弁に出来ないか、と試作を重ねました。

滝蔵さんは弁当の完成を待たずに世を去ってしまいますが、かくさんや調理人の長谷川氏らの努力で1896年(明治29年)「鯛めし」が発売を開始しました。茶飯の上に鯛のおぼろ(現在は少し、白身魚が入っています)をのせたこの駅弁はたちまち東海道本線の名物駅弁となり、他の駅でも別の弁当屋さんによって売り出されるようになりました。

さて、静岡駅の東海軒のお弁当と言いますと、かつての東京発大垣行き375M普通電車、通称「大垣夜行」のことを思い出す方も多いのではないでしょうか。下り375M大垣行きは、午前2時前後に静岡駅に到着し、貨物列車の退避のためかなり長時間停車していました。

そこで「べんとー、べんとー!」と、幕の内弁当の立ち売りが行われていました。この「大垣夜行」の到着する時間に合わせてご飯を詰めていたため、あったかい幕の内弁当が食べられたのを今でも覚えています。

今は375M「大垣夜行」も、臨時快速電車「ムーンライトながら」号に変わり、青春18きっぷシーズンのみの運転となったため、深夜の駅弁の立ち売りも無くなりました。

今まで、全国各地の名物駅弁や幕の内駅弁を食べてきた私「てつきち」ですが、幕の内弁当の駅弁で一番美味しかったのは、この静岡駅で食べた幕の内弁当でした。この幕の内弁当のお話もまた、機会を改めてできたらいいなと思います。

【幻の駅弁】関西本線亀山駅「志ぐれ茶漬」弁当


皆様、こんばんは。「てつきち」です。名古屋駅から関西本線の電車に乗って、電化区間の終点・亀山駅へとやって来ました。

この亀山駅には、完全予約制の全国唯一となった「お茶漬け駅弁」があるのです!

その駅弁の名前は「志ぐれ茶漬」弁当・900円なり。駅前にあります、製造元のいとう弁当店さんで買うことが出来ます。またお茶漬けとして食べるため、100円でお茶も別売りされています。まずはそのまま食べて、次に熱いお茶を注いで食べます。すると上に乗っかっているアサリの時雨煮がチリチリと縮んでいきます。

「♪桑名の殿様 時雨で茶々漬・・・」と昔の囃し唄で歌われた様に、三重県桑名市はハマグリの特産の地で知られていました。そのハマグリ料理の締めに出てくるハマグリの時雨茶漬けを駅弁に、ということで登場したのがこの亀山駅「志ぐれ茶漬」弁当なのです。

名古屋~奈良間に走っていた、急行「かすが」号なき今では、関西本線を通しで乗ることが出来なくなり、亀山から奈良方面へはローカル線の様になっています。それでも「青春18きっぷ」シーズンには、乗りつぶしの鉄道ファンが同線を旅する姿が見られます。

その折に、この全国唯一となった「お茶漬け駅弁」などいかがでしょうか?

【お店データ】
*営業日:平日と土曜日(日曜日は定休日です)

*電話番号:0595-82-1225

【懐かしの1枚】2001年(平成13年)の札幌駅から


皆様、こんばんは。「てつきち」です。5月もあと1日で終わりですね。

今日は懐かしの画像から1枚。2001年(平成13年)の札幌駅にて撮影した、駅弁の立ち売りの光景です。今は売店やキオスク、車内販売での発売がメインになったため、この様なワゴンもなかなか見られなくなりました。

それでも旅情を感じるにはやはり、この様な立ち売りさんから買うのが一番強く感じますよね。

札幌駅にも個性的な駅弁が数多くありますが、イチオシは何といっても「石狩鮭めし」です。醤油味の茶飯の上に、鮭のフレークとイクラをこれでもか!という程どっさりと散らしたお弁当で、1923年(大正12年)から発売を開始したロングセラー駅弁です。札幌御来訪の折には、是非ご賞味あれ。

【鉄道の旅】池田駅で明治時代から続く銘菓「バナナ饅頭」


皆様こんにちは、「てつきち」です。いかがお過ごしでしょうか?今日は久しぶりの完全オフ日です。

今日の話題は、先日の北海道の旅から一つ。以前、この駅の名物駅弁「ステーキ弁当」をご紹介しましたが、同じ米倉商店さんで明治時代から続く名物のお饅頭があるのです。

その名は「バナナ饅頭」!何と1905年(明治38年)から売り出されている人気商品なのです。

パッケージを開けると、ぷーんとバナナのいい香りがしてきます。バナナの風味を付けた餡をカステラでくるんだ、という感じですね。

このお饅頭が登場したのが1905年(明治38年)のことです。当時釧路から線路を伸ばした鉄道が池田まで開業。すると駅前で先々代・米倉三郎が駅弁屋を開業しました。当初は「親子弁当」(現在は予約制で購入可能)を発売していましたが、お土産品として後に「バナナ饅頭」を発売しました。

当時はバナナは台湾産で貴重品。それこそ、病気や遠足や運動会の時など限られた日にしか口に出来ない「憧れの果物」でした。その憧れの果物・バナナを気分だけでも旅行者や開拓者に味わってもらいたい、ということで登場したのがこのお饅頭です。やはりバナナを題材にした類似品のお菓子は全国各地に生まれましたが、その元祖はこの池田駅・米倉商店の「バナナ饅頭」なのです。

フィリピンからのバナナの輸入が自由化され、バナナが気軽に食べられる果物になったのは、1963年(昭和38年)のことでした。

「バナナ饅頭」はそのままでも美味しいですが、オーブントースターで少し温めると、焼き立ての味を楽しむ事が出来ます。

かつては高級品だったバナナの気分を味わうことの出来るお饅頭、十勝方面ご旅行の際のお土産には是非いかがでしょうか?駅前の「レストランよねくら」の他、池田ワイン城などでも発売しています。