【秋の味覚】明知鉄道「きのこ列車」に乗ってきました!(岐阜県恵那市)




皆様、こんばんは。「てつきち」です。一日遅くなりましたが、今週も乗り物の話題をお届けしたいと思います。

日本の鉄道でも今では「グルメ列車」として、車内で郷土料理等が味わえる列車が各地で走っていますが、その火付け役となったのが、この岐阜県恵那市を走る明知鉄道(恵那~明智間)なのです。まずは地元・山岡で生産される糸寒天に目を付けた「寒天列車」、車内で摺り下ろしたとろろご飯が食べられる「じねんじょ列車」、秋の味覚であるきのこをふんだんに使った「きのこ列車」等々。

その中でも、一番予約が取りづらい「きのこ列車」に乗ってきました!

恵那駅からは、食堂車「きのこ列車」に乗車。この日の急行「大正ロマン」号は4両編成で、うち3両が食堂車「きのこ列車」という盛況ぶり。今から楽しみです!

きのこ尽くしのフルコースで、見た目にも楽しくなっています。前菜の盛り合わせに鮎の甘露煮、焼き松茸、ロージ茸の生姜和えなど、兎に角きのこ、きのこ、きのこ🍄でした!聞いたことのない名前のきのこもあり、きのこって本当に奥が深いんですね!

ご飯は松茸ご飯。勿論、お代わり自由です。あまりの美味しさに6杯もおかわりしてしまいました!

松茸の土瓶蒸しです。薄味で、松茸そのものの味を味わうことが出来ます。

土瓶蒸しの中にも松茸!本当にきのこ尽くし🍄です。

この明知鉄道は、途中駅のホームが傾斜状になっている駅や、「極楽駅」というとても縁起のよい駅名の駅があったり、多くの案山子達が迎えてくれる駅があったり、と車窓の風景も味わえる素敵な路線です。

終点の明智駅で撮影したショットです。同鉄道で動態保存されているC12型蒸気機関車と明知鉄道のディーゼルカーが並びましたので、思わず1枚。普段は機関庫で保管されているC12型蒸気機関車ですが、この日は乗務員訓練があったせいか、明智駅構内を何往復もしていました。

思わず動画も撮ってきました。汽笛入りで、懐かしい光景をお楽しみください。宜しければ、チャンネル登録もよろしくお願いいたします。

【惜別】さようなら上野動物園モノレール

皆様、おはようございます。いかがお過ごしでしょうか?今日の話題は、パンダで沸いてる上野動物園から。

この上野動物園の東園と西園の間には、日本で最初の「懸垂式モノレール」が走っていましたが、施設の老朽化等によりこの10月31日で休止されることになりました。

東園駅に停車している、40形モノレールです。現在の車両で四代目だそうです。窓の大きさが広く、眺望を堪能出来るように配慮されています。

東園駅では、乗車記念のグッズが配られていました。

今回いただいたグッズです。上野動物園モノレールのペンダントストラップでした。

運転席です。乗車時間は短いですが、本格的に作り込まれています。ミュージックホーンを鳴らして、ハイ発車!

発車シーンを動画でお楽しみください。

乗車時間にして約2分の「空中散策」でしたが、満足出来ました。西園駅は、乗車を待つ人とグッズを買う人で大行列!この日はパンダ🐼よりも、モノレールの方が行列出来ていました。

東園と西園を結ぶ「こおろぎ橋」の所で、下からモノレールを撮影。ここも「大同業者まつり」でした!

1両目が近づいてきました。

連結部はこんなカラフルです。

編成全体は、こんな感じでした。

「こおろぎ橋」の所で、下からモノレールを動画撮影してみました。

子供の頃、親に上野動物園へ連れてきてもらった際、このモノレールに乗りたいとせがみましたが、「歩きで十分」と却下され悔しい思いをしました。そのリベンジを果たしたのが2006年(平成18年)の時でした。

この上野動物園モノレールは、将来の都市交通の試験線として開業した日本最古のモノレールで、もしもこのモノレールが実用化されていたら東京の都市交通は大きく変わっていたでしょうね。

しかし施設や車両の老朽化が進み、その修復費用に莫大な金額がかかる事や、園内施設のリニューアルなどから今回の「運行休止」に繋がったのです。これで「懸垂式モノレール」が走るのは、神奈川県の湘南モノレールと、千葉県の千葉都市モノレールのみになりました。

【電車のファーストクラス!】京阪特急「プレミアムカー」



皆様こんばんは、「てつきち」です。毎週月曜日は「てつきちの日」。今週も楽しい乗り物の話題をお届けしましょう。

先日、京都へ行ってきました。祇園四条駅から淀屋橋駅までは京阪特急の旅。そこで特別車両「プレミアムカー」を奮発!

こちらがその車内です。2-1列のフルリクライニングシートが並んでいます。

こちらが1人掛けの座席です。各座席には専用のコンセントもあり、車内限定のWi-Fiも完備されています。

一番車端の席に座ったのですが、シートピッチもたっぷり!JRのグリーン車も顔負けのゆったり感です。

祇園四条駅から淀屋橋駅までの旅はあっという間の旅でした。この「プレミアムカー」の特別料金は500円。ゆったりと帰りたい時には、お値打ちの価格です。

この8000系の「プレミアムカー」が好評なので、3000系特急車にも連結を始めて、近い将来には特急は全便「プレミアムカー」連結にするそうです。

京都と大阪の間の誘客戦争は、戦前から当時の鉄道省(後の国鉄)と京阪の間で繰り広げられていました。京阪では急行用ロマンスカーを導入したり、天満橋から大津までの直通特急「びわこ」号を運転した他、大阪天神橋から京阪京都(現在の阪急京都線「四条大宮」駅)まで新線である「新京阪線」を子会社として開通させて、怪物とまで言われた高性能かつ高出力の特急電車「P-6」(PとはPassenger[旅客]の略)を投入しました。

この「P-6」形はセミクロスシートを導入し、運転室仕切り扉上の幕板部には、電動幕式の駅名表示器まで備えた程のデラックス車両でした。これは将来「新京阪線を名古屋まで延長する」という計画の下で造られたものですから、如何に京阪がこの「京阪間誘客戦争」に力を入れていたかがお分かりになるのでは、と思われます。もしもこの新京阪線が名古屋まで延びていたら、現在はどうなっていたのでしょうね?

この「P-6」の名前を一躍有名にしたのが、「当時最速と言われた、国鉄の超特急『燕』号を追い抜いた!」という逸話です。現在の大山崎駅付近で新京阪線は国鉄東海道本線と併走しますが、悠々と走っていた国鉄の超特急『燕』号を追いかける様に、新京阪線の「P-6」による大阪天神橋~京阪京都間の超特急列車が一気にスピードを上げ、国鉄の超特急『燕』号を追い抜く。1933年(昭和8年)の路線図には「燕より速い特急行三十四分京阪電車」というフレーズが記載されていた程です。

戦争中に京阪電鉄は阪神急行電鉄と合併して「京阪神急行電鉄」となりましたが、戦後に「京阪電気鉄道」となりました。この時「新京阪線」「京阪神急行電鉄」に残り、後の阪急京都線となりました。

そうなりますと「京阪間誘客戦争」は、国鉄、阪急、京阪の三つ巴の大戦争となりました。京阪が新車を入れれば、阪急もクロスシートの特急車を走らせる。国鉄も急行運転に力を入れる。

そんな中で京阪は「快適な移動手段を」ということで1954年(昭和29年)、1800系特急車に何とテレビを備え付けた「テレビカー」を登場させました。当時のテレビ受像機は高嶺の花で、庶民は街頭テレビなどに向かっていたことからこのサービスは大好評を得ました。東の京成電鉄に1年遅れを取った「テレビ付き特急電車」でしたが、こちらは座席指定料金不要の破格のサービスでした!

後の1810系、1900系、3000系にも「テレビカー」は受け継がれ、3000系からは時代の流れでカラーテレビになりました。この様に京阪特急で「テレビ付き特急電車」が実現した背景には、沿線に松下電器(現在のパナソニック)の本拠地があって協力を得られたからこそとも言えます。

そしてこの8000系の中間車にも、衛星放送対応のテレビとカード式公衆電話を取り付けましたが、特急の停車駅が増えたことで旅客のニーズが変わった事や、携帯電話のワンセグ機能が普及したことから「テレビカー」の役目は終わった、と判断されて8000系の車内テレビは次々と取り外されていきました。

尚、富山地方鉄道に移籍した3000系のうち、1編成は赤と黄色の「京阪特急カラー」に復元され、後に移籍した二階建車両を中間車に組み込んだ観光列車「ダブルデッカーエキスプレス」として線内特急等に使用されています。この編成では2012年(平成24年)「テレビカー」も復活しました。

しかし、ライバルである阪急も負けてはいられません。十三~大宮間ノンストップ運転の他、2800系、6300系、9300系とゆったりした転換式クロスシートを導入した特急電車を就役させました。特に6300系は、特別料金不要の電車で一番最初にカード式公衆電話を設置した最初の電車でした。(地下区間である西院~河原町間では使用不可能)

また6300系6両を観光列車に改造した「京とれいん」を登場。梅田~河原町間の快速特急運用で就役させ、今年の春には第二弾である「京とれいん雅洛」を登場させました。こちらは神戸線車両をベースとしたもので、車両限界の違う神戸線・宝塚線から直通運転を視野に入れた登場でした。

国鉄改めJR西日本も負けてはいません!153系で「新快速」を登場、117系、221系、223系と新車を次々とデビュー。さらにはこの春より、「新快速」の一部列車に「Aシート」という指定席を設けました。

スピードだけでなく、移動の快適性も競うこの「京阪間誘客戦争」、軍配が上がるのはどこでしょうね!

【今はバス専業】東濃鉄道の由来は何でしょう?



皆様、おはようございます。「てつきち」です。この週末はまた台風。かなり強いと聞いてますが、大事にならないといいですね。

今日の一枚は、新宿で撮影した東濃鉄道の高速バス「中央ライナー可児号」です。東濃地方の中心地である可児、多治見と新宿の間を中央高速経由で結んでいます。

さて鉄道線もないのに「東濃鉄道」というのは何故なのでしょうか?その謎を紐解くには戦時中まで歴史を遡る必要があります。

1944年(昭和19年)3月1日、駄知線の前身である駄知鉄道、笠原線の前身である笠原鉄道など6社が合併し、東濃鉄道株式会社を設立。同日より笠原線(多治見駅~笠原駅4.9km)および駄知線(土岐津~東駄知駅10.4km)の鉄道事業と周辺地域における乗合バス事業を開始したものです。

笠原線、駄知線とも陶磁器の生産地を控えていたこともあって、陶磁器の輸送も担っていました。後に駄知線は電化され、電車が走るようになりましたが、昭和40年代になりますと陶磁器の輸送もトラックに取って代わられるようになりました。

そんな中で1971年(昭和46年)、笠原線の旅客営業を中止。1972年(昭和47年)7月13日には駄知線の土岐市駅~神明口駅間の土岐川鉄橋が流失。資金の不足のため復旧が困難なことから駄知線は営業休止となり、そのまま1974年(昭和49年)に全線が廃止されました。

1978年(昭和53年)11月1日には、最後まで残っていた笠原線の貨物輸送も廃止となり、東濃鉄道は鉄道事業から撤退したのです。

笠原線の廃線跡は、現在は「陶彩の径」というサイクリングコースになっています。桜の名所とも聞いていますので、桜シーズンには是非歩いてみたいものです。

【ラッピング電車】拝島ライナーの「コウペンちゃん電車」


皆様こんばんは、「てつきち」です。いかがお過ごしでしょうか?

今日のショットは、先日撮影した「コウペンちゃん」ラッピングによる、西武拝島線「拝島ライナー」です。ちょうど夕焼けのいい感じの時に停車して、絵になる光景に撮れました。

西武鉄道は、今年の春から「コウペンちゃん」とタイアップしてイベントを開催したり、40000系電車にラッピングを施したりしています。このラッピング車は今月いっぱい、新宿線と拝島線で走るそうです。

主に夕方の下り「拝島ライナー」に使用され、折り返しの各駅停車・小平行きになり、その後回送で西武新宿。そこからまた下り「拝島ライナー」、という運用が多いようです。

スマホの「西武鉄道アプリ」では、現在どの電車(ラッピング車や特殊塗装車も含む)がどの位置を走っているかをリアルタイムに提供しています。撮影の参考に是非、いかがでしょうか?

側面のラッピングもこんな感じで、思わずワクワクしてきますね!

拝島へ向かって走っていく姿を後から撮影してみました。我ながらいい絵になりました。