【憧れの箱根行路】ロマンスカーVSEの展望席で、限定弁当を味わう!



皆様こんばんは、「てつきち」です。このページも今までは気まぐれ更新でしたが、他のページもハイペースで執筆しているので、せめて週に1回はこのページも新しい話題をお届けしたいと思います。

そんな訳で今夜のお話は、「小田急ロマンスカーの限定弁当を食べる」というお話です!

小田急ロマンスカーに乗る度に、何気なく眺めていた車内販売のメニュー。その中の「事前予約限定弁当」というページに心惹かれました。そんな中、我が母校・國學院大學が箱根駅伝へ出場することが決定!

これは箱根町ゴールへ応援行かないと、ということで2019年1月2日の朝一番のロマンスカーを初日に予約。前展望は既に売り切れでしたが、後展望の最前列の席を確保できました。

やって来ました、新宿駅。50000形ロマンスカー「VSE」車が、箱根への旅路を前に発車を待っています。定刻になるとドアが閉まり、ミュージックホーンを鳴らして、新宿を出発です。

こちらが後展望の最前列です。本厚木駅近くで、人がいなくなったのを見計らって撮影させていただきました。

「てつきち様ですね。お弁当のご用意が出来ておりますので、お茶とご一緒にお持ちいたします。」と、ロマンスカーアテンダントさんが、お弁当とお茶を持ってきてくださいました。

こちらが、その「大名弁当」1,500円なり!二段重ねの御弁当で、白ご飯とおこわの二種類のご飯の部、焼き魚や天ぷら、野菜の煮物と言った和風のおかずが入ったおかずの部。江戸時代、飛脚が持っていた運びかごをモチーフにした容器に入り、見た目もとっても楽しいお弁当です。

さて、小田急ロマンスカーの「車内で食べるお弁当」と言えば、かつての日東紅茶、森永エンゼルが担当していた「走る喫茶室」時代にもありました。私が中学校2年生だった1986年(昭和61年)当時の森永エンゼル担当便のメニューから見てみますと、「スペシャルロマンス幕の内弁当」(700円・緑茶付)「花づくし弁当(押し寿司・のり巻・ざるそば)」(800円・緑茶付)「マス寿司」(あさぎり号のみ、900円・緑茶付)とあります。

なかでも一番お気に入りだったのが、「花づくし弁当(押し寿司・のり巻・ざるそば)」(800円・緑茶付)で、これを食べながら江ノ島特急「えのしま」号の3100形NSE車の展望席で、至福の気分にひたっていました。本線内では「騒音公害」という理由で鳴らしていなかったミュージックホーンも、江ノ島線内では思う存分に鳴らしており、これぞロマンスカーだ!という感じでした。

御殿場特別連絡急行「あさぎり」号限定だった「マス寿司」(900円・緑茶付)は、御殿場駅前にある和食屋さん「妙見」さんの名物商品で、古くから御殿場駅で販売されてきた「鱒の姿寿司」でした。小田急ロマンスカーでは、1955年(昭和30年)10月1日にキハ5000形ディーゼルカーで運転を開始した特別準急「銀嶺」号、「芙蓉」号の車内販売として売り出しを開始しました。ちなみにこの車内販売は、小田急サービスビューロー(現社名:小田急商事)が担当していました。

1968年(昭和43年)7月1日、御殿場直通列車がキハ5000、5100形ディーゼルカーから3000形SSE車に変わり、車内販売が森永エンゼル担当に変わっても、この「鱒の姿寿司」は、「あさぎり」号の隠れた名物となっていました。1991年(平成3年)3月に、連絡急行から沼津ゆき特急へ格上げされ、小田急とJR東海の共同運行になってもその人気は不動で、中でも新宿を10時過ぎに出た「あさぎり3号」では、車内でオーダーしておけば、御殿場駅で出来立てほやほやの「鱒の姿寿司」が受け取れる、という嬉しいサービスがありました。

後に「あさぎり」号の車内販売は、2011年(平成23年)3月のダイヤ改正で廃止されましたが、「鱒の姿寿司」は今でも、御殿場駅前のお店で購入することが出来ます、御殿場へ行かれた折には、是非いかがでしょうか?(火曜日はお休みです)

食後にコーヒー(350円)をオーダーすると、ビスケットがお茶請けに付いてきました。これは嬉しいサービスですね!小田急ロマンスカーのコーヒーは、豆からこだわって淹れているので、旨さもまたひとしおです。

箱根登山線内ですれ違った1000形の登山塗装車です。この塗装車は、小田原~箱根湯本間の区間運転をメインに使用されています。

美味しいお弁当を味わい、景色もワイドに味わって、すっかり小田急ロマンスカーの旅を満喫しているうちに「ロマンスをもう一度」のオルゴールが鳴って、間もなく終着駅・箱根湯本駅に到着する旨が告げられました。また駅伝ゴール地点の箱根町へは、駅前からノンストップの臨時急行バスが運行されている旨も案内されていました。

箱根湯本駅前の歩道橋から撮影した、50000形VSE車の編成美です。この後、臨時急行バスで箱根町ゴールへと向かったのでした。

【平成から令和へ】万葉線「万葉令和号」に乗ってきました!(富山県高岡市)



皆様こんばんは、「てつきち」です。長かった10連休も終わり、年号も「平成」から「令和」に変わりましたね。皆様は連休、いかがお過ごしでしたでしょうか。

私は富山県方面へ出かけて「雪の大谷」をめぐる立山高原バスに乗ったり、水戸岡デザインの一つである富山地方鉄道「アルプスエキスプレス」に乗ったりしてきました。そのリポートも随時、このページで上げていきたいと思います。

その中で、「平成」から「令和」へ年号が変わる瞬間を、電車の中で迎えましょう、という企画が富山県の万葉線で開かれると聞いたので、これは見逃せない!と行ってきました。

そんな訳で、2019年4月30日の高岡駅に着いたのは21時過ぎでした。既に何人かの同業者がいて、情報交換。この年号の改正に伴い、各鉄道会社でも記念乗車券の発売や、京王電鉄やこの万葉線の様に特別列車を走らせるという企画が各地で営まれるようです。

22時位になると三々五々、この特別電車「万葉令和号」に乗りたい、という乗客が集まってきました。電車の定員の関係で、先着70名様限定。22時半くらいから乗車整理券を配りますよ、と高岡市と万葉線のスタッフの方が告知していました。

駅の出発案内にも、こんな粋な表示が出ました。

 

 

出発案内にも特別電車「万葉令和号」の表示です。

今回のイベントのMCを務められている高岡市のスタッフの方です。

特別電車「万葉令和号」の到着に先立ちまして、地元高岡で活躍していらっしゃる津軽三味線芸人の中山孝志さんと安藤有希子さんによるお囃子がありました。

 

何曲か演奏があった後の22時55分頃、特別電車「万葉令和号」が高岡駅へと入線してきました。この時には、TV局や新聞社の取材クルーも多数駆け付けてきており、電車に向かって一斉にカメラが向けられました。

万葉線の電車という事で、この日の運転士さんの衣装も万葉時代の役人の服装でした。考えてみれば、「万葉」と名乗っています鉄道路線はこの富山県高岡市~新湊~射水市を走る「万葉線」だけですから、これは粋な演出ですね!そのため取材も数多く来ており、車内では乗っていた家族連れにTVスタッフがインタビューをしている光景も見受けられました。

こちらが特別電車「万葉令和号」の車内です。窓の上部分にも万葉風の装飾が凝らされています。

 

 

更に驚いたのは天井部分です!この新年号「令和」の由来となった万葉集の部分が書かれていたのです!これには思わず仰天しました。

津軽三味線芸人の中山孝志さんと安藤有希子さんによるオリジナル曲「まつりのあと」です。いい曲ですので、動画で撮影させていただきました。皆様も是非、この祭りの気分を味わってみてはいかがでしょうか?

特別電車「万葉令和号」と乗務員さんを一緒に撮影させていただきました。この頃には梅に因んで、梅の飲み物とお菓子が参加者の皆さんに振る舞われました。

高岡市のゆるキャラ「家持くん」と、射水市のゆるキャラ「ムズムズくん」も駆け付けてきました。

高岡市のゆるキャラ「家持くん」です。万葉の歌人・大伴家持をモチーフにしたキャラクターで、高岡にはピッタリのキャラクターですね。このお二人は、これから出発する特別電車「万葉令和号」の御見送りに駆け付けてくれたそうです。

そして出発の時刻が段々と迫りました。整理券70枚は30分ほどで無くなり、乗車する人は電車へと案内されます。この頃には高岡市長も駆け付けてきて、ひと言挨拶を述べていました。

新しい年号への、そして出発のカウントダウンから発車シーンを動画で撮影してみました。皆様も是非、この電車の雰囲気を味わってみてください!

そして午前0時00分。「平成」から「令和」へ年号が変わり、特別電車「万葉令和号」は発車しました。

この特別電車「万葉令和号」の終点は、お隣の末広町電停。時間にして2分間のミニクルーズでした。沿線には深夜というのにもかかわらず、多くの撮り鉄の皆様方がいらっしゃっており、この電車の雄姿をカメラにおさめていました。末広町電停では、この電車の乗客に乗車証明書が配布され、記念撮影タイムとなっていました。もう少しだけ、この余韻に浸っていたい。皆の思いは、そう感じました。

こちらは5月1日の昼間に撮影した「万葉令和号」です。万葉線によりますと、このラッピング車は10月までの期間限定で万葉線を走るそうです。

万葉の町・高岡に是非お出かけの際には、是非この「万葉令和号」に乗られてみてはいかがでしょうか?

【速報】箱根登山鉄道の最後の「吊り掛け式車両」が引退へ!



皆様こんばんは、「てつきち」です。このページもようやくペースが掴めたのか、定期的に書くことが出来る様になりました。

今日の話題は、神奈川県の箱根登山鉄道から。箱根湯本までは小田急の車両が走っていますが、箱根湯本から先は線路の幅も電圧も違うので、専用の登山電車になります。古くから活躍してきた登山電車も最近では世代交代が進んでおりますが、今年2019年(令和元年)夏ごろには、箱根登山鉄道最後の「吊り掛け式モーター」車である103=107号編成、通称「サンナナ編成」(右の方の編成)が引退になるそうです。

今年1月2日、母校の箱根駅伝応援の帰り、強羅駅でこの「サンナナ編成」に遭遇しましたこれは乗らねば!と電車1本遅らせて乗車することにしました。

その「サンナナ編成」が、強羅駅に入線してくる所を動画で撮影してみました。

乗車すると、パンタグラフの下である運転台後ろの席を早速キープ。この強羅駅から箱根湯本駅まで、吊り掛け式モーターの力強い音に癒されて帰ろうと思います!

時代を感じさせる運転台です。今のハイテクな電車とは違い、運転士さんの運転技術とテクニックが物をいう運転台です。

列車は2両固定編成となっています。ただ連結面の通路は非常時用のみとなっており、一般の乗客は行き来出来ないようになっています。

運転台右手にあるハンドブレーキです。これまた時代を感じさせてくれますね!

強羅駅を発車し、力強い吊り掛けモーターの音を響かせて「サンナナ編成」は箱根の山を下っていきます。

ハンドブレーキ越しに撮影してみました。次は大平台、スイッチバック駅です。反対側のホームでは、強羅行きの「ベルニナ」号が発車をまっていました。

強羅駅から箱根湯本駅までの間には、3回のスイッチバックが続きます。そして塔ノ沢駅では、「金太郎」の腹掛け塗装となっている108号車とすれ違いました。

箱根湯本駅に到着した、「サンナナ編成」です。この後も強羅へ向けて、慌ただしく走っていきました。

その「サンナナ編成」発車シーンを、動画で是非どうぞ!

この「サンナナ編成」の引退という事で、夏ぐらいには様々なイベントが開催されるそうです。詳しくは箱根登山鉄道ホームページをご参照ください。

【鉄な壁画】小田急線・下北沢駅に箱根への旅情を感じさせる壁画登場!



皆様こんばんは、「てつきち」です。本日の話題は、小田急線下北沢駅から。この駅は、京王電鉄井の頭線との接続駅で、戦前は帝都線(現在の井の頭線の前身)が小田急の路線だったことから、改札なしで乗り換えが出来ましたが、今年の3月に中間の改札口が登場し、井の頭線から小田急線に乗り換える際には一旦改札を出る様になりました。

その改札口新設と同時に、この様な素晴らしい壁画が登場しました!ここには栄光の特急ロマンスカー3000形「SE」車が、原形のままいます。この作品は洋画家・宮永岳彦画伯の世界をそのままレリーフにしたもので、昭和30年代初頭の箱根への観光ポスターをモチーフにしたそうです。ちなみに、特急ロマンスカー3000形「SE」車のカラーデザインを考案したのも、宮永画伯でした。

まずは右側の特急ロマンスカー3000形「SE」車の部分から。今でも十分通用するこのデザイン、当時としては度肝を抜かれる様なデザインでした。と同時にこれは、「小田急ロマンスカー、ここにあり!」という大きな存在感をも植え付けさせてくれたと言っても過言ではないでしょう。

壁画の中央にある、男女のロマンス部分です。二人で仲良く箱根へ、というイメージが伝わってきます。独特のミュージックホーンを鳴らし、8両の連接車体で箱根へと高速で向かう3000形「SE」車。二人より添って、車内で味わう日東紅茶の味はまた格別だった事でしょう。

一番左は、箱根へ向かう3000形「SE」車と、箱根ロープウェイが描かれています。1959年(昭和34年)12月、早雲山駅から大涌谷駅までが部分開業し、翌1960年(昭和35年)9月には桃源台駅まで全線開通。これに伴い、箱根の観光名所を乗り物で一周する通称「箱根ゴールデンコース」が全線開業しました。

この時CMソングで使われていたのが、三木鶏郎作詞・作曲で、ザ・ピーナッツとボニージャックスが歌っていた「小田急ピポーの電車」という曲です。3000形「SE」車が花型特急車として走っていた全盛期を思い出させてくれる曲ですね。今の「ロマンスをもう一度」も悪くはないですが、やはり「小田急ロマンスカー」というと、この歌の方がしっくりくるような気がします。

下北沢駅ご来訪の折にはこの壁画、是非チェックしてみてください!

【鉄道廃線跡】加越能鉄道加越線・旧井波駅跡にて



皆様、こんばんは。「てつきち」です。今日は鉄道廃線跡で見かけた、珍しい物をご紹介します。

富山県を走っていた、加越能鉄道加越線。北陸本線(現・あいの風とやま鉄道)の石動駅から庄川町駅までを走っていた鉄道線で、1972年(昭和47年)に廃止されました。その内、欄間彫刻で知られた井波の駅舎は、特徴ある造りで今でも地元の物産館として現存しています。

登録有形文化財にも指定されたこの駅舎、現役当時から少し東側に移設されましたが、その面影を十分残しています。

駅舎の反対側へ回ってみました。かつてはここに改札口があったようです。今にもキハ(ディーゼルカー)のエンジン音が聞こえてきそうですね。

そんな駅舎のすぐ隣の自転車置き場の所に、欄間彫刻の町・井波に相応しい鉄道のレリーフが残っていました!そのレリーフを1つ1つご紹介していきたいと思います。

まずは、キハ187号車。1964年(昭和39年)に製造された、加越線では最後の新車でした。加越線廃止後は茨城県の関東鉄道へ移籍し、常総線のキハ721号車として片運転台化やドアの変更などの改造を経て、1989年(平成元年)まで使用されました。

続いて、キハ162号車。1936年(昭和11年)製造で、国鉄から滋賀県の江若鉄道を経て加越能鉄道に移籍した車両です。加越線内では唯一のクロスシート車でしたが、余りにも椅子の幅が狭かったため「お猿の電車」などという、余り有り難くないあだ名まで付けられていた程です。加越線廃止後は茨城県の関東鉄道へ移籍し、常総線のキハ551号車として片運転台化や座席のロングシート化、中間ドアの両開き改造などを経て、1988年(昭和63年)まで使用されていました。

続いてはキハ173号車。こちらは1952年(昭和27年)製造の元・国鉄キハ07形で、同じキハ07形出身のキハ162が貫通化改造されていたのに対し、原形を保ったままで使用されていました。加越線廃止後は茨城県の関東鉄道へ移籍し、常総線のキハ707号車として前面の大改造や片運転台化を行い、1988年(昭和63年)まで使用されていました。

キハ126号車です。1957年(昭和32年)に庄川町車庫が火事に遭い、キハ2両が焼失したためその代替車としてキハ125、126の2両が投入されました。東急車輛製で、同時期に製造された東武鉄道熊谷線のキハ2000系とは兄弟車に当たります。違いは、東武キハ2000系がセミクロスシートなのに対して、このキハ125、126はロングシートであるという点です。

昨日の「かしてつバス」の話題でも少し触れさせていただきましたが、加越線廃止後は茨城県の関東鉄道へ移籍し、鉾田線のキハ431、432号車として活躍しました。この写真で左に見えているのが、キハ431とキハ432の2両です。1979年(昭和54年)に鉾田線が「鹿島鉄道」として分社された後も活躍を続け、途中に塗装の変更やワンマン化などの改造を受けましたが、2007年(平成19年)3月31日の鹿島鉄道線廃止の日まで活躍を続けました。

廃止後のキハ431(加越線時代のキハ125)です。廃止後は暫く、旧・鉾田駅跡に留置されていましたが後に移動され、現在では小美玉市某所にある「鹿島鉄道記念館」(通常は非公開)にて保存、整備されています。

廃止後のキハ432(加越線時代のキハ126)です。廃止後は、小美玉市の「小川南病院」に引き取られ、現在では同病院の老人福祉施設の一部として使用されています。(撮影に当たりましては、事前に病院側の許可を取った上で撮影いたしております)このキハを撮影していた時、施設の窓から利用者様がこちらに向かって手を振っていたのが印象的でした。

加越線で活躍していたディーゼル機関車・DL101号機です。貨物列車の他、お正月には国鉄城端線を経由して高瀬神社へ初詣列車として乗り入れてくる国鉄客車を牽引した、という記録もあります。

加越線開業当時に走っていた、1号蒸気機関車です。

この様に、欄間彫刻の町に相応しい素敵なレリーフが残っていたということからも、地元の人がそれだけ加越能鉄道加越線を愛していた、ということがうかがえます。またこの井波駅舎では、毎週日曜日の11:00~18:00にカフェもオープンし、香り高い珈琲とスイーツを味わう事も出来るようになりました。

お近くを御通りの際には、是非お立ち寄りになられてみてはいかがでしょうか?