【何と乗船無料!】県営渡船と鉄道廃線跡をめぐる!(富山県射水市)




皆様、こんばんは。「てつきち」です。毎週月曜日は「てつきち」の日。今日も楽しい乗り物の話題をお届けしたいと思います。

今日の話題は、渡し船の話題を富山県射水市からお送りします!

高岡駅から万葉線電車に乗り、終点の越ノ潟駅で下車。この越ノ潟駅は富山新港の西側にあり、駅を降りるとすぐ富山県営渡船の待合室があります。朝夕の通勤通学時間帯は15分間隔、それ以外は30分間隔で朝から夜まで、越ノ潟と対岸(富山新港東側)の堀岡の間を結んでいます。

定員80名の小さな船2隻が旅客と自転車を搭載して進む、所要時間4分の小さな船旅です。「ふるさと」のオルゴールが鳴り始めると、乗船改札の始まりです!

こちらがその船室内です。かつては地元民以外は有料でしたが、1986年(昭和61年)に完全無料化されました。乗ったかなと思うと、すぐに到着する。なぜこの様な渡船が存在するのでしょうか?

それはかつてこの地を走っていた鉄道線の事が関係してくるのです。

かつて富山地方鉄道では、新富山~新湊間の「射水線」と地鉄高岡~伏木港間の「高伏線」(現在の万葉線の一部)を有していました。

国鉄新湊線の旅客営業が廃止されたのをきっかけに、「高伏線」米島口から新湊(現在の万葉線「六渡寺」駅)まで新線を敷き、「射水線」と繋いで、富山から高岡までの直通運転を開始しました。この富山~高岡間直通電車は、富山市内線の「西町」電停を始発駅にして富山駅前を経由し、射水線と高伏線を通って地鉄高岡駅(現在の万葉線「高岡駅」まで運転されていました。

後に市内線への直通は廃止となり、高岡行きの直通電車は射水線の始発駅・新富山から発車するようになりました。高岡駅から新湊駅の間は1959年(昭和34年)「加越能鉄道」に移管されましたが、直通運転は続けられました。

しかし1965年(昭和40年)、放生津潟を活用した「富山新港」の建設計画が浮上しました。これに伴い、潟の出口にあった射水線の鉄橋がネックとなり、射水線の堀岡駅~越ノ潟駅間が廃止されて路線は分断されました。同時に越ノ潟駅~新湊駅間も「高岡市内の交通機関の一元化」を理由に加越能鉄道に移管されました。

そして射水線は新富山駅と、堀岡渡船場前に新設された「新港東口」駅間を結ぶ路線となりました。新港東口駅と越ノ潟駅の間は、24時間運航の県営渡船が連絡するようになります。いわばこれも「鉄道連絡船」の範疇に入れてもいい航路ですね!

ところが富山の町から新湊へ出るには「船に一度乗り換えなければならない」という手間があって、射水線の乗客数は激減。富山駅前乗り入れなどの方策をあれこれ採用しましたが時は既に遅しで、結果的には1980年(昭和55年)3月31日限りで、富山地方鉄道射水線は全線廃止されました。また加越能鉄道の伏木線(米島口~伏木港間)も、モータリゼーションの発達で利用者が減り、1971年(昭和46年)に廃止されました。

その当時走っていた、加越能鉄道デ5022号車です。この電車は1950年(昭和25年)の日立製作所製で、富山~高岡間の直通運転に使用されていました。1971年(昭和46年)の伏木線廃止の際、除雪用となったこのデ5022号車を除き、廃車となりました。除雪用としての役目を終えた後、現在は万葉線「新吉久」電停前の広場に静態保存されています。

県営渡船も、新湊大橋の開通などによって利用者数が激減し、現在は1日69便が運航されています。この写真は、船の中から新湊大橋と越ノ潟渡船場を撮影したものです。この新湊大橋は、日中は歩いて渡ることも出来るので、次回の訪問の際には是非、歩いて見たいものです。あとは新湊で、富山湾の美味しい魚も食べたいな!

県営渡船の堀岡渡船場です。ここからはバスで、小杉駅や富山駅へと抜けることが出来ます。

渡船場前から続いていたサイクリングロードです。おそらくこの辺りが、射水線の分断後の終点・新港東口駅の跡ではないかと思われます。

時刻表を見ると、富山大学前を経て富山駅に至るバスが丁度あるようです。言わば「射水線の廃止代替バス」のようですね。

「すみません、これは射水線の跡を走るバスですか?」と運転士さんに聞いてみましたが、若い運転士さんは、

「申し訳ございません、分かりません。」という回答でした。確かに射水線が廃止されたのは、1980年(昭和55年)の事でしたから今から40年前の話。もう射水線の事を知る人も少ないだろう、と思いました。

私とあと1人の乗客を乗せて、バスは新港東口から富山駅を目指します。

走っていると、車窓右手にさっきのサイクリングロードが見えてきました。これは間違いなく、富山地方鉄道射水線の廃線跡でした!かつてはこの路に鉄路が敷かれ、小さな電車が1~2両でのんびりと走っていたものでした。

今は堤防に囲まれて海岸線を見る事は出来なくなりましたが、途中の打出浜はかつては県内有数の海水浴場の一つで、射水線の前身である「越中電気軌道」が海水浴場を開発し、夏の時期には誘客に努めていたそうです。

「鯰温泉口」の辺りでバスは廃線跡とお別れして、富山の市街地へと入っていきます。親孝行息子と鯰の秘話で知られている「鯰温泉」は今でもビジネス旅館として、そして地元の人に愛される日帰り温泉として盛業しています。そう言えば射水線の駅にも「鯰鉱泉前」という名の駅があったのを思い出しました。

しばらく走っているうちに、バスは富山大学の近くへとやって来ました。ここからは富山市内を走る「富山市内線」の路面電車も出ています。

路面電車に乗ると、大学前の次は「富山トヨペット本社前(五福末広町)電停に着きます。ここが実は、かつての射水線の富山方のターミナル・新富山駅だったのです!射水線廃止後、電停の名前は「新富山駅前」から「新富山」に変わりましたが、2015年(平成27年)に現在の名前に変わりました。また1986年(昭和61年)まで、射水線時代の駅舎がそのまま残っていたようです。

ここで神通川にかかる富山大橋を渡ります。ここでは天気がいいと、立山連峰の山々をバックに路面電車の撮影をする事が出来るようです!次回富山来訪の折には、是非来てみたいところです!

こうなりますと、富山では「鉄道ファンの聖地の喫茶店」に行ってみたいものです!そこで次の「安野屋」バス停で、バスを降りる事にしました。

次回の「てつきち」では、その「鉄道ファンの聖地の喫茶店」のお話をしたいと思います。来週もどうぞお楽しみに!

真鯛が泳ぐ不思議な世界へ!「鯛の浦遊覧船」(千葉県鴨川市小湊)


こんばんは、「てつきち」です。今日は先日行ってきた房総半島の旅の中から一つ。

外房線の電車を「安房小湊」駅で下車し、左方向へ歩く事約15分。「♪ゆったり たっぷり のんび~り」というCMソングでお馴染みのホテル三日月脇を通って、目的地へと向かいます。

その名も「日蓮交差点」という交差点で、トンネルに入らないで右折。段々と潮の香りが強くなってきます。

着きましたのは「鯛の浦」。その名前の通り、多くの鯛(マダイ)が生息している場所です。ここから遊覧船で、約25分程度のクルーズになります。

因みに、こんな感じの船です。定員は46名。後部のデッキには立席で9名乗れるそうです。また後部デッキに乗船する場合は、安全上ライフジャケット(救命胴衣)の着用が必須となります。出発が近くなるにつれて、20名ぐらいの団体さんがドヤドヤと乗ってきました。鯛の姿を間近で見たかった私「てつきち」は、デッキで乗船することにしました。

今日の船の船長さんです。安全運航、どうぞよろしくお願いいたします!

桟橋を後にした船は、真鯛たちの棲む「鯛の浦」へと向かって進んでいきます。桟橋から凡そ、5分ぐらい進んだころでしょうか。

「只今から、左手の方で餌を撒きます。左手のお客様は、窓を開けてご覧ください。尚、安全のため、右手のお客様はしばらくお待ちください。」と案内が流れました。確かに鯛に夢中になったお客様が左へ集中すると、バランスが崩れて危ないですよね。小さな船ならではのアナウンスでした。

そして、船の先頭部で係のおじさんが撒き餌を海に向かって撒きました。すると水面がバシャバシャと音を立てて、大小の鯛たちが集まってきました!思わず歓声が上がります。水槽でも生簀でもなく、ここは天然の海。こんなに多く見られることはなかなかない、と船頭さんは話していました。日によっては、全然見られない日もあるとか。

水面を悠遊と泳ぐ鯛です。水族館でもないのに、こんな間近で泳ぐ鯛を見たのは初めてでした。今度は右側でも撒き餌が撒かれ、大小の鯛が集まってきました。

それでは、なぜこの「鯛の浦」には、こんなに多くの鯛がいるのでしょうか?その由来を紐解くには、今から約800年前の鎌倉時代に歴史を遡ってみましょう。

1222年(貞応元年)2月16日、日蓮上人はこの地でお生まれになりました。その際、この地の海面近くに多くの真鯛が群れを成して現れ、まるでご誕生を祝うかのように飛び跳ねました。また、従来は回遊性の深海魚である鯛が、太平洋の荒波に面した水深わずか10~20m前後のこの場所に安住している事は、生物学的に見ても実例がなく、神秘とされてきました。

また1264年(文永元年)、日蓮上人が父祖供養のため海に向かって祈り、南無妙法蓮華経のお題目を書くと波の上にその文字が現れ、お題目は集まった鯛が食べたと言われています。

そのため、この「鯛の浦」の鯛は、日蓮上人の化身・分身であると伝えられ、殺生禁断、捕獲禁止となっており、1967年(昭和42年)12月には、史蹟名勝特別天然記念物にも指定されています。

「鯛の浦」を出た遊覧船は、少し沖に向かって走ります。外房の海は波が荒いせいか、船が上下に揺れました。この画像に見えている鳥居は「大弁天」で、毎年正月にはこの地の漁師さんはこの大弁天にお参りしてから漁に出るのが習わしと言われています。

海から見た「鯛の浦祓山遊歩道」です。鯛の浦海岸と祓山を結ぶ海沿いの遊歩道で、1973年(昭和48年)に天皇皇后両陛下が行幸されました記念碑が建っています。

 

約25分程度のクルーズを終えて、再び桟橋へと戻ってきました。乗り場の所には資料館もあり、乗船券で入場できると言うので入ってきました。

展示室に展示してあった「鯛みこし」です。さすがは、鯛を大切にしている小湊の人の気持ちの表れですね!

遊覧船乗り場のすぐ目の前にある誕生寺の境内には、「鯛塚」なるものまであります。これはこの地で亡くなった鯛を供養する塚で、鯛に対する人々の敬意が分かります。

最後に、誕生寺の仁王門です。本殿は現在、修復工事のためうまく撮影できませんでした。

外房の海の神秘的な世界、皆様も是非一度お訪ねになってみてはいかがでしょうか?

「本州一遅い紅葉」を湖上から!~亀山湖紅葉クルーズ(千葉県君津市)


皆様、こんばんは。「てつきち」です。季節は師走に替わり、いよいよ年の瀬が近づいてきましたね。

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さて房総半島では、11月下旬から12月上旬が紅葉の時期となっており「本州一遅い紅葉」と言われています。千葉県君津市にある亀山湖では、紅葉🍁の時期になると、ボート屋さんによる「紅葉クルーズ」が楽しめます。

木更津駅から「久留里線」というローカル線に乗り、終点の上総亀山駅にて下車。そこから歩く事約5分で、亀山湖の湖畔に出ます。この亀山湖は千葉県最大のダム湖で、貯水量は、東京ドームに換算して約16個分。主に農業用水に使われているそうです。釣りはヘラブナとブラックバスがメインだとか。

今回お世話になった、「トキタボート」さんです。

普段は釣り船屋さんですが、紅葉の時期にはモーターボートによって亀山湖の湖上から紅葉を巡る「紅葉クルーズ」を行っています。所要時間は約50分間で、料金はお一人様1,200円なり。お手頃な値段ですね。

亀山湖桟橋の入口です。事務所で料金を払い、乗船券を貰った後はここで待機します。

いよいよボートに乗り込みます。安全のため、乗船前にはライフジャケット(救命胴衣)を着用するよう指示が出ます。この日は20名もの団体さんがあったので、2隻に分かれての分乗となりました。

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さぁ、出航です。こんな感じで約50分間、亀山湖の紅葉をモーターボートで巡るのです。

湖上に浮かぶ鳥居です。こちらは「亀山水天宮と呼ばれる神社だとか。その脇を、ボートはゆっくりと進んでいきます。

亀山湖の水面です。この辺はまだ、紅葉が少ないようですね。これからの航路に期待です。船頭のユキさんというお姉さん(若女将)曰く、この「紅葉クルーズ」には、これから向かう「笹川渓谷コース」の他、奥地を巡る「猪ノ川渓谷コース」というのもあり、それぞれ複数のボート屋さんが船を出しているそうです。今回お世話になっています「トキタボート」さんでは、「笹川渓谷コース」を楽しむ事が出来ます。このコースのポイントは、迫力ある絶景を楽しむ事が出来るという点です。

ボートでブラックバスを釣っている方を見かけました。この亀山湖では、釣った魚はキャッチ&リリースがルールなのだそうです。

紅葉に彩られた斜面です。湖畔道路から見る湖の紅葉とは、また違ったアングルで見えますね。船頭のユキさん曰く、この亀山湖の紅葉は赤だけでなく、緑や黄色などの他の色の紅葉もあるのだとか。

亀山第一、第二大橋です。この橋は道路がほぼ1車線の狭さなのだそうです。真ん中の島の所が、うっすらと赤く色づいていました。

湖上へ向かって伸びる紅葉です。私が見たかったのは、この風景でした!思わず、何枚もカメラのシャッターを切ります。色とりどりの紅葉と、水面に写るその鮮やかな色。今年は台風による塩害が少しあったようですが、それでもこの色は見事です!

ボートの左側に見えた紅葉です。見事な位の朱色ですね!既に関東地方の紅葉は終わりを告げていた時期でしたが、ここ亀山湖の紅葉は「本州一遅い紅葉」と言われるだけあって、この時が一番のピークのようでした。

湖上の入江です。ここから先は現在、安全のため立入禁止になっているそうです。



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ユキさん曰く、この岩はサメに見えるとか。言われてみれば、確かにそう見えますね!これもまた、自然が造りだした絶景と言えましょうか。

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前の夜に雨が降ったこともあり、沢の流れも滝のように豪快に流れています。この様に奥地まで入れるのも、小型のモーターボートならではの特性です。

更に見えてきた、湖上の紅葉です。今まで水面から紅葉を見たことがなかったので、この水面に写る紅葉の赤を見られただけで感激ものでした。また、カワセミやカワウなどの野鳥も、運が良いと見られるそうです。

ユキさんの名調子のガイドと、抜群の操船技術に皆魅了され、桟橋へ戻ってきた時は拍手喝采ものでした!

皆様も来シーズンは是非、この「本州一遅い紅葉」をクルーズで楽しまれてみてはいかがでしょうか?この亀山湖畔には温泉もあり、湖畔のホテルや旅館ではこの時期、「紅葉クルーズ」乗船券付き宿泊プランなども販売しています。また、イベントなどもありますので注目ですよ~!

懐かしの船旅がよみがえる!青函連絡船「摩周丸」(北海道函館市)



JRを函館駅で降り、岸壁の方へ向かうと1隻の大きな船が停泊しているのが見えます。これが、青函連絡船で1988年3月の青函トンネル開業まで最後まで活躍していた船の一つ「摩周丸」です。


またこの場所は実際の乗り場であった旧函館第二岸壁に係留・保存して公開されています。


乗船すると、まず目にするのはかつての座席です。青函連絡船には、普通船室(桟敷席)、普通船室(一般座席)、グリーン船室(座席)、グリーン船室(桟敷席)、寝台とありましたが、ここにはグリーン船室と普通船室の座席が展示されていました。(尚、晩年に活躍していた石狩丸と檜山丸には、グリーン席、寝台はありませんでした)


普通座席は背面に折り畳み式テーブルが取り付けてある、当時の特急列車と同じタイプのものでした。座り心地もなかなか良かったです。約4時間の航海なら、これで申し分ないですね。


グリーン座席はリクライニングシートですが、リクライニングの角度は今のグリーン車や夜行高速バスも顔負けのゆったり感で、深夜便などでは特に人気だったそうです。これならグリーン料金追加で乗ってもいいですよね。


この船は、かつてグリーン船室だった部屋を改造して、展示室になっていました。ここでは、青函連絡船の歴史などが展示されており、かつての乗務員の制服も展示してありました。


最前部は喫茶室と売店になっており、その片隅では「洞爺丸台風」に関する展示がされていました。1954年(昭和29年)9月26日、台風15号により青函連絡船「洞爺丸」をはじめとする5隻の連絡船が沈没して、多数の犠牲者が出ました。この事故が、青函トンネル工事の起爆剤となったといっても過言ではないと言えます。


後ろから見た「摩周丸」です。鉄道車両を積み込むための甲板に水密扉が取り付けられているのが分かるかと思われます。これは「洞爺丸台風」の時、車両甲板の搬入口が開いていたため、そこから大量に浸水し、沈没に至ったという教訓からです。

また当時青函連絡船では、上野発札幌行きの直通1等寝台車の航送もありました。これは上野から青森まで急行「みちのく」号に1等寝台車を連結し、そのまま青函連絡船に乗せて津軽海峡を越え、函館から札幌までまた別の急行列車に連結して走る、というものでした。そのため当時の青函連絡船船内には、この寝台車専用のプラットホームとトイレ、洗面所が設けられた船もありました。しかし、この「海を渡る寝台車」も、洞爺丸事故で安全面を考慮した結果廃止され、上野発札幌行き直通列車は、1988年3月の青函トンネル開業による寝台特急「北斗星」号のデビューまで待つことになりました。

同じように「海を渡る列車」は岡山県の宇野と香川県の高松を結ぶ「宇高連絡船」でも実施されていました。本州から客車ごと乗船し、そのまま四国へ渡れるというメリットがありましたが、こちらも1955年(昭和30年)「紫雲丸事故」で、修学旅行生をはじめとする多数の犠牲者が出たため廃止されました。この「紫雲丸事故」が、瀬戸大橋建設の大きなきっかけになったことは言うまでもありません。


ブリッジ(操舵室)も公開されています。当時の操船技術を物語るかのような雰囲気がして、気分はすっかり航海士。場所柄、ある時は吹雪や高波との闘いだったんだな、とふと思いました。


こちらが通信室です。モールス信号や船舶無線などをここでやり取りしていました。他にもロープ結びの話や、様々な展示がされており、とても短時間では回り切れないほどです。


上の階に上がると、そこには普通船室(桟敷席)が復活してました。船旅はこうでなきゃ、と思い上がってみます。すると、ここでのんびりと横になりながら津軽海峡を渡った記憶が思い出されました。方言が飛びかう何気ない雑談。約4時間の航海があっという間だったことが今でも印象に残っています。


それでは最後に、函館上空から撮影した「摩周丸」を見て見ることにしましょう。成田空港から乗ったバニラエアで、ちょうど右側の窓際席に当たったので、この様に函館上空から街並みを見下ろす事が出来ました。ちょうど中央に「摩周丸」が停泊しているのが見えます。


今度は「摩周丸」部分だけをトリミングしてみました。この姿、現役時代を彷彿とさせてくれますね。

【施設データ】
◆所在地 〒040-0063 北海道函館市若松町12番地先

◆電話番号 0138-27-2500

◆営業時間 
*4月~10月:8時30分~18時(入館は17時まで)
*11月~3月:9時~17時(入館は16時まで)
*12月31日~1月3日:10 時~15時(変更、または休館になる場合もあり)

◆定休日 なし。但し、4月第2月曜日(2019年は第1月曜日)からその週の金曜日まで整備休館あり。

◆入場料
*一般(大人):500円
*児童・生徒(小学生・中学生・高校生):250円
*幼児・未就学児:無料

冬の味覚をたらふく!丸文松島汽船「かき鍋クルーズ」(宮城県塩釜市・松島町)


松島の海の幸と言えば、身のぎっしりと詰まった牡蠣(かき)
そのかき鍋料理を味わいながら、松島~塩釜間をクルーズしてしまおう、というのが丸文松島汽船の冬の風物詩「かき鍋クルーズ」です。今回は、松島桟橋から塩釜港へのコースで、かき鍋を味わってみることにしました。

事前に予約し、塩釜への船を待つことにします。


船は「第三芭蕉丸」で、総トン数129トン。定員は2等が98名、グリーン70名、1等20名。その名前は「ああ 松島や 松島や」という名句を残した俳人・松尾芭蕉にちなんだものです。

こちらが、今回乗った2等船室です。

船の中では、既にかき鍋の用意がされていました。

これは美味しそう!鍋の中はこんな感じです!

指定された席につくと、目の前には牡蠣がびっしりと入った土手鍋が!東京でこれだけ牡蠣を食べたら、一体幾ら取られるんだ、と思う様なたっぷりの量です。

「揚げたてをどうぞ」と、更にカキフライとかき酢が運ばれてきました。

この「第三芭蕉丸」にはキッチン設備もあるので、このような揚げたてのカキフライを味わうことも出来るのです。まずは揚げたてのカキフライを。身が柔らかく、プリプリとした牡蠣をアツアツのままいただきます。これはシンプルに、搾ったレモンだけで味わいたいものです。またかき酢は、磯の味がして、まさに地の味です。新鮮でないと、生ガキは味わえませんものね!

やがて汽笛を鳴らして「第三芭蕉丸」は出港しました。これから塩釜港に向けて、約50分間のクルーズです。

松島桟橋を出ると、小さな島々の間を縫うように船は進んでいきます。島や見どころの度に観光案内の放送が流れますが、かき鍋つついて島も見て、とけっこう忙しいものです。

牡蠣鍋はいわゆる「どて鍋」というもので、味は仙台味噌仕立て。牡蠣の旨味がたっぷりと出たスープで、牡蠣の他野菜も美味しく味わうことができました。これもまた、牡蠣の本場だからこそできる味わい方なのでしょう。また、シメのご飯も「宮城県産ササニシキ」にこだわっていて、まさに「ご当地づくしの盛り合わせ」でした。

乗った日は空模様が曇りだったこともあり、海上からの風景はぼんやりとしたものでありましたが、これが天気のいい日なら絶好のビューポイントになる、と船のガイドさんは話していました。

上等客室は他に乗客がいなかったので、特別に見学させてもらえました。


2階はグリーン船室。その名前の通り、座席のモケットは緑色。上から松島の島々を眺めるには格好のビューポイントです。


最上階(3階)は、定員わずか20名の1等船室。特等室だけあって、座席は白いカバーのかかったソファー席。ほぼ360度の展望が楽しめる「展望室」状態でした。

ちなみに通常の「松島~塩釜航路」の場合、大人片道の2等運賃は1,500円。これがグリーンだと2,100円、1等だと2,900円になりますから、1等は2等船室の実に約2倍の料金ということになります。

かき料理を平らげた頃、船はマリンゲート塩釜(塩釜港)に到着。50分間という短い時間ではありましたが、船旅楽しんで、名物のかき料理を味わって、と満足したひとときでした。(この「かき鍋クルーズ」は、塩釜港発の便もあります。)

運航期間は2016年度の場合は12月1日~25日の毎日、年明け1月7日~3月12日の土日祝日。通常料金は大人3,400円ですが、ネットで予約すると割引サービスがあります。

尚、当日の朝9時半で予約は終了となります。また満席になり次第締め切りとなりますので、ご予約はお早めにどうぞ。

詳しくは丸文松島汽船ホームページをご参照ください。