【懐かしの画像から】のと鉄道のジョイフルトレイン「のと恋路号」

皆様おはようございます、「てつきち」です。いかがお過ごしでしょうか?

ちょっと遅れてしまいましたが、今日は懐かしの画像から1枚。石川県はのと鉄道で、NT800形気動車「のと恋路号」の画像がありましたので、ご紹介したいと思います。

このNT800形車両は、1988年(昭和63年)の能登線第三セクター化の際、観光列車として登場したものです。車内には展望が楽しめる展望室やラウンジ、サービスカウンター、自動販売機などがあり、専属の列車アテンダントさんも乗務して、観光急行「のと恋路号」として走っていました。

2002年(平成14年)に観光急行「のと恋路号」の定期運用が廃止となると、団体列車用として稼働していましたが、2005年(平成17年)に能登線が廃止となると運用を失い、廃車となりました。

ちなみにこの画像は、1998年(平成10年)に九十九湾小木駅で撮影したものです。この時からもう、22年経つのですね。

こちらも同じ時期に能登半島を旅した時に撮影したものです。この頃はのと鉄道も、輪島や蛸島までの路線があり、この写真の様なお座敷列車が走っていました。

今は路線縮小でこれらの車両も思い出の彼方に行ってしまいました。古い写真をスキャンしていると、その時々の思い出がふと蘇ってくることがあります。また能登の地を訪れ、懐かしい車両たちに再会できる日が早く来て欲しいものです。本当に、写真は一期一会ですね!

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【鉄博が面白い!】鉄道博物館のキハ41307号車に迫る!

皆様こんばんは、「てつきち」です。いかがお過ごしでしょうか?毎週月曜日と木曜日は「てつきちの日」ですが、昨日は疲労のため更新をお休みしてしまい、申し訳ございませんでした。そこで本日、1日遅れで発信したいと思います。

今回は大宮にあります鉄道博物館の、国鉄キハ41307号車についてお届けしたいと思います。

この車両・キハ41307号車が生まれたのは1934年(昭和9年)1月のことで、川崎車輛製です。当時はガソリンエンジンを取り付けたガソリンカーで、「機械式変速機」を備えていました。そのため連結運転の際の総括制御が出来なかったので、連結運転の際はそれぞれに運転士が乗務して、ブザーの合図でクラッチレバーをロー、セカンド、サード、トップと変速していた手間のかかるものでした。

キハ07形の一部が後年、総括制御可能車に改造されたのに対してこのキハ41000形(後のキハ04形)は、国鉄時代は最後まで総括制御化はされませんでした。

このキハ41307号車は、主に小海線(小諸~小淵沢間)で使用されており、後に「キハ04 8」に改番されました。

そして1958年(昭和33年)には、静岡県の遠州鉄道へ移籍して、同社のキハ802号車となりました。遠州鉄道と言えば、電化私鉄なのに何故キハが走るのか?とお思いの方も多いかと思われます。

この当時、浜松市と天竜市を直結して浜松から遠江二俣(現在の天竜二俣)を結ぶ直通列車が計画されました。しかし国鉄二俣線(現在の天竜浜名湖鉄道)は非電化路線。そのためには専用のキハが必要だ、ということで遠州鉄道は国鉄から3両のキハ04の払い下げを受けたのです。

ドアエンジンが設けられて自動扉に改造され、エンジンもガソリンエンジンからディーゼルエンジンに載せ替えられた3両のキハ04改めキハ800形は、新浜松発遠江二俣行きの直通列車として1日4往復が設定され、後には運転区間が遠江森(現在の遠州森)まで延伸されました。

この直通列車は歓迎をもって迎えられましたが、車両自体が老朽化していた上に電車線(現在の西鹿島線・新浜松~西鹿島間)のダイヤが過密化してきて、運行が難しくなりました。

結局、遠州鉄道の国鉄二俣線乗り入れは1966年(昭和41年)9月末をもって廃止となり、お役御免となった3両のキハ04は、石川県の北陸鉄道能登線(羽咋~三明間)へ移籍し、同線の「キハ5211」号車となりました。

その車内です。鉄道博物館がリニューアルした際、当時の様子をより感じてもらおうという事で、車窓シアターが新設されました。

北陸鉄道の路線では唯一の非電化路線だった能登線ですが、ここで変速機が載せ替えられて「機械式」から「液体式」になり、連結運転の際の総括制御が可能になりました。しかし北陸鉄道能登線も、1972年(昭和47年)6月24日で全線廃止。キハ5211には「さようなら能登線」と書かれたヘッドマークが付けられ、最終列車としての任務を担いました。

幸いにもこの「キハ5211」号車は、僚友のキハ5212号車、キハ5251号車、キハ5301号車と共に茨城県の関東鉄道への移籍が決まり、キハ5251号車は常総線、それ以外の3両は筑波線に配属となって「キハ461」となりました。

同じ遠州鉄道からやって来た仲間の「キハ5213」号車は、千里浜ドライブウェイ付近で食堂として使用されていましたが、食堂の廃業と共に解体されました。

筑波線で活躍していた「キハ461」は、1985年(昭和60年)に廃車となりました。僚友の「キハ462」は一足先の1981年(昭和56年)に廃車解体されましたが、「キハ461」は真鍋の車庫で保管されていました。

後に1987年(昭和62年)3月31日、筑波鉄道が廃止されると、鉄道愛好家の団体が購入し、つくば市内の公園で保存活動が行われてきました。

さらに2007年(平成19年)、東日本鉄道文化財団に寄贈されて、現在の鉄道博物館(埼玉県さいたま市)に安住の地を見付けたのです。この時に、登場当時に近い「キハ41307」の姿に復元されたのでした。

鉄道博物館で他の車両と並ぶその姿。それは昔話を孫たちに語っているおじいちゃんの様にも見えました。

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【鉄道廃線跡】加越能鉄道加越線・旧井波駅跡にて



皆様、こんばんは。「てつきち」です。今日は鉄道廃線跡で見かけた、珍しい物をご紹介します。

富山県を走っていた、加越能鉄道加越線。北陸本線(現・あいの風とやま鉄道)の石動駅から庄川町駅までを走っていた鉄道線で、1972年(昭和47年)に廃止されました。その内、欄間彫刻で知られた井波の駅舎は、特徴ある造りで今でも地元の物産館として現存しています。

登録有形文化財にも指定されたこの駅舎、現役当時から少し東側に移設されましたが、その面影を十分残しています。

駅舎の反対側へ回ってみました。かつてはここに改札口があったようです。今にもキハ(ディーゼルカー)のエンジン音が聞こえてきそうですね。

そんな駅舎のすぐ隣の自転車置き場の所に、欄間彫刻の町・井波に相応しい鉄道のレリーフが残っていました!そのレリーフを1つ1つご紹介していきたいと思います。

まずは、キハ187号車。1964年(昭和39年)に製造された、加越線では最後の新車でした。加越線廃止後は茨城県の関東鉄道へ移籍し、常総線のキハ721号車として片運転台化やドアの変更などの改造を経て、1989年(平成元年)まで使用されました。

続いて、キハ162号車。1936年(昭和11年)製造で、国鉄から滋賀県の江若鉄道を経て加越能鉄道に移籍した車両です。加越線内では唯一のクロスシート車でしたが、余りにも椅子の幅が狭かったため「お猿の電車」などという、余り有り難くないあだ名まで付けられていた程です。加越線廃止後は茨城県の関東鉄道へ移籍し、常総線のキハ551号車として片運転台化や座席のロングシート化、中間ドアの両開き改造などを経て、1988年(昭和63年)まで使用されていました。

続いてはキハ173号車。こちらは1952年(昭和27年)製造の元・国鉄キハ07形で、同じキハ07形出身のキハ162が貫通化改造されていたのに対し、原形を保ったままで使用されていました。加越線廃止後は茨城県の関東鉄道へ移籍し、常総線のキハ707号車として前面の大改造や片運転台化を行い、1988年(昭和63年)まで使用されていました。

キハ126号車です。1957年(昭和32年)に庄川町車庫が火事に遭い、キハ2両が焼失したためその代替車としてキハ125、126の2両が投入されました。東急車輛製で、同時期に製造された東武鉄道熊谷線のキハ2000系とは兄弟車に当たります。違いは、東武キハ2000系がセミクロスシートなのに対して、このキハ125、126はロングシートであるという点です。

昨日の「かしてつバス」の話題でも少し触れさせていただきましたが、加越線廃止後は茨城県の関東鉄道へ移籍し、鉾田線のキハ431、432号車として活躍しました。この写真で左に見えているのが、キハ431とキハ432の2両です。1979年(昭和54年)に鉾田線が「鹿島鉄道」として分社された後も活躍を続け、途中に塗装の変更やワンマン化などの改造を受けましたが、2007年(平成19年)3月31日の鹿島鉄道線廃止の日まで活躍を続けました。

廃止後のキハ431(加越線時代のキハ125)です。廃止後は暫く、旧・鉾田駅跡に留置されていましたが後に移動され、現在では小美玉市某所にある「鹿島鉄道記念館」(通常は非公開)にて保存、整備されています。

廃止後のキハ432(加越線時代のキハ126)です。廃止後は、小美玉市の「小川南病院」に引き取られ、現在では同病院の老人福祉施設の一部として使用されています。(撮影に当たりましては、事前に病院側の許可を取った上で撮影いたしております)このキハを撮影していた時、施設の窓から利用者様がこちらに向かって手を振っていたのが印象的でした。

加越線で活躍していたディーゼル機関車・DL101号機です。貨物列車の他、お正月には国鉄城端線を経由して高瀬神社へ初詣列車として乗り入れてくる国鉄客車を牽引した、という記録もあります。

加越線開業当時に走っていた、1号蒸気機関車です。

この様に、欄間彫刻の町に相応しい素敵なレリーフが残っていたということからも、地元の人がそれだけ加越能鉄道加越線を愛していた、ということがうかがえます。またこの井波駅舎では、毎週日曜日の11:00~18:00にカフェもオープンし、香り高い珈琲とスイーツを味わう事も出来るようになりました。

お近くを御通りの際には、是非お立ち寄りになられてみてはいかがでしょうか?

懐かしい昭和レトロ!いすみ鉄道「昭和の観光急行列車」(千葉県いすみ市)


いすみ鉄道(千葉県)の「昭和の観光急行列車」です。

JR外房線の大原駅から分かれ、房総半島をほぼ横断するように走り、城下町の大多喜へ。そこから更に進み、終着・上総中野駅で小湊鐵道に接続しているいすみ鉄道。

この鉄道では、土曜・日曜・祝日に、大原駅~上総中野駅(大多喜~上総中野間は普通列車)を走るこの列車、今となっては懐かしい国鉄型キハ(気動車)の2両連結で走ります。この列車には、乗車券の他、大人300円の急行料金が必要となります。

まず、上総中野側につくのは、キハ52-125号車。

かつては大糸北線(南小谷~糸魚川間)で走っていた車両で、JR引退後、このいすみ鉄道にお輿入れ(移籍)となりました。大糸線時代はクリームに紺色の「スカ色塗装」で、いすみ鉄道移籍後にクリームと朱色の「国鉄色塗装」へと変わり、更にこの首都圏塗装(いわゆる「タラコ色」)に変わりました。この車両は「自由席車」で、乗車券と急行券で乗ることが出来ます。

そのキハ52と相方を組むのが、キハ28-2346号車です。

この車両は、もともと急行列車用に開発された、キハ28形・58形のグループで、登場当時は房総各線の夏季輸送にも活躍した、千葉県とは深いご縁のある車両です。最後はJR西日本の高山本線用(猪谷~富山間)で活躍し、この地にやってきました。

車内は高山本線時代にセミクロスシート(デッキ近くの席をボックスからロングシートに改良)改造されましたが、それ以外は国鉄時代の原型をとどめた貴重な車両となっています。この列車は、急行列車として運用の時には乗車券、急行券の他、300円の座席指定券が必要となります。

今となっては懐かしい「昭和レトロ」な列車が2両連結されて走るいすみ鉄道の「昭和の観光急行列車」。車両だけではなく、車内の風景、沿線風景などすべてが「懐かしい」気持ちにさせてくれます。そんな原風景なところが、鉄道ファンの人気を集めているのかもしれません。

この「昭和の観光急行列車」は、一部の便で「レストランキハ・ランチクルーズ」と称し、車内で房総名産の伊勢エビや海の幸をふんだんに使ったイタリアンやお刺身が味わえるグルメ列車としても運行されます。

このグルメ列車のお話は、また機会を改めてご紹介したいと思います。