【日本で唯一!】名古屋ガイドウェイバス「ゆとりーとライン」



皆様、こんばんは。「てつきち」です。明日は嬉しい週末。このページもWordpressを使いこなす練習として、定期更新日の毎週月曜日以外にも不定期に更新していきたいと思います。

今日の話題は、尾張名古屋発。鉄道のようで、鉄道ではない。バスのようで完全なバスではない。そんな不思議な乗り物「ガイドウェイバス」が名古屋では走っています。

その名も、名古屋ガイドウェイバス「ゆとりーとライン」

バスの始発地は、中央西線の「大曽根」駅。駅前の高架部分から発車しています。

「大曽根」を出発し、カーブを曲がるところを最前列からパシャリと1枚。

この大曽根駅~小幡緑地駅の区間は「軌道」扱いで、このバスを運転するには大型二種免許の他、無軌条電車[トロリーバス]の運転免許(無軌条電車運転免許)が必要となります。無軌条電車[トロリーバス]は、以前にもご紹介しましたが、現在では立山黒部アルペンルートの室堂~大観峰間にのみ残っています。

この区間はハンドル操作は行わず、バスの側面から出る補助車輪が高架区間(案内軌道)に接して走ることになります。また時速は60kmに抑えられ、普通の路線バスの様な「続行運転」は行われていません。高架区間内では、凡そ10分ヘッドで運行しています。

小幡緑地駅で撮影した、大曽根駅行きの「ガイドウェイバス」です。バスの様でバスではない、電車の様で電車ではない、不思議な乗り物ですね。

大曽根駅を出てすぐ、車窓右手にはナゴヤドームが見えてきます。バスを駅から撮影してみますと、両端に「案内軌道」があるのが見えます。走行音もかなり静かで、まさに「未来の乗り物」といった感じです。

バスの写真を撮りたかったので、「小幡緑地」駅で途中下車。ここで高架区間は終わり、「ガイドウェイバス」は一般の路線バスとして運行されます。

「小幡緑地」駅に入線してくる「ガイドウェイバス」です。

一見すると、普通の路線バスにしか見えませんが、この「ガイドウェイバス」は日本で唯一の存在なのです。

「小幡緑地」駅に停車中の所を1枚。

ここで「ガイドウェイバス」はスロープ(坂道)を下り、専用道(高架区間)から一般道へと入ります。

今度は一般道から専用道(高架区間)へ登って行くところを1枚。本当はもう少し近くで撮影したかったのですが、ここから先は安全のため立入禁止だったので、この様なショットになりました。次回の訪問時には、望遠レンズ持っていくぞ!

一般道への入口で信号待ちをしている「ガイドウェイバス」です。信号が変わったら一般道へと入り、途中の中志段味(なかしだみ)行きや、終点の高蔵寺行きなどに分かれて運行されます。

終点の「高蔵寺」駅に到着した「ガイドウェイバス」です。特に朝夕のラッシュ時には、一般道路区間だけでは渋滞するところを、高架区間で定時運行しているので、通勤・通学輸送にとても重宝されています。このバスが開業する前は、名古屋市内の区間は慢性的な渋滞。その渋滞とは無縁の専用軌道で走るのですから、他の渋滞が慢性的な都市でも是非、実現して欲しいものですね。

高蔵寺駅では中央西線の他、愛知環状鉄道線にも接続しており、岡崎方面へ足を伸ばすのにも便利な存在となっています。

名古屋御来訪の折には、是非いかがでしょうか。

【バスの旅】鉄道廃線跡を行く「かしてつバス」



皆様、こんばんは。「てつきち」です。今日もバスの話題を一つ。

先日、茨城県の鉾田へ行く用があり、石岡駅から関鉄グリーンバスの路線バスで行ってきました。一見、普通のバスに見えますがこのバス、普通のバスではないのです。

この通称「かしてつバス」は、BRTBus Rail Traisitの略)といい、専用道路を走る路線バスなのです。しかもそのバス専用道路とは、2007年(平成19年)3月31日に惜しくも廃止になった鹿島鉄道線(石岡駅~鉾田駅間)の石岡駅から四箇村駅の間の線路跡が活用されているのです。

既に更地になった、石岡機関区の跡です。この始発駅・石岡駅にはかつて機関区があり、鹿島鉄道のキハ(ディーゼルカー)達の基地となっていました。

1985年(昭和60年)、私「てつきち」が中一の時に撮影した石岡機関区です。この頃は、詰所で名前と連絡先さえ書けば自由に構内の撮影が許されていました。右側にいるのは、夕張鉄道からやってきた道産子・キハ714です。現在は、小美玉市某所にある「鹿島鉄道記念館」(通常は非公開)にて保存しています。左側にいるのは、富山県の加越能鉄道からやってきたキハ431と432です。こちらは東急車輛製で、東武鉄道熊谷線キハ2000系とは兄弟車に当たります。

駅のコンコースから見た、バス専用道路です。かつての線路跡を整備し、一直線の道路になっています。駅から分岐していくレイアウトは、かつてこの地に列車が走っていたことを象徴しているかのようです。

それでは発車します。普通のバスと同様に、停留所に停まっていきますが、鉄道時代に比べてバス停が増えているので、以前より利便性は整ったと言えましょうか。

一般道との交差点です。バスが通過する時には、専用道路側の遮断機が上がり、バスが通行できるようになっています。一般車両は通行できないので、バスの速度も出て快適に走っています。

2008年(平成20年)に撮影した、上の画像の辺りの線路跡です。線路が剥がされた他は、鉄道時代の面影をしのばせてくれます。この時は「鹿島鉄道記念館」の特別公開があり、その帰りに旧・東田中駅跡から旧・石岡駅跡まで廃線跡を歩いてきました。

同じく2008年(平成20年)に撮影した、旧・石岡南台駅跡です。こちらは鹿島鉄道の中では一番新しい駅で、駅近くに住宅が集中していたことから新設された駅でした。

現在の旧・石岡南台駅跡です。ホームも跨線橋もそのままに残っていますね。ただ、鉄道時代のホームですと、バスのステップの高さには合わないので、現在は鉄道時代のプラットホームは閉鎖されています。

桜の木で知られた、旧・東田中駅の所ですれ違うバスです。この鹿島鉄道線は全線単線でつくられていたため線路敷地が狭く、随所随所にこの様な「行き違い設備」が設けられています。すれ違う時は、バスも一時停止して待機します。

2008年(平成20年)に撮影した、旧・東田中駅です。この辺りは、廃線から1年後でもまだ、線路が残っていました。

2008年(平成20年)に撮影した、旧・玉里駅です。ここには工業団地があることから通勤需要も多く、朝夕を主体に石岡~玉里間の区間列車も設定されていた程でした。

旧・新高浜駅と旧・四箇村駅の間に設けられた行き違い施設で、バス同士の行き違いです。この「鹿島鉄道代行バス」は、鉄道線廃止から数年間は、線路沿いの国道を走っていました。しかしその道路の渋滞がかえって慢性化し、定時運行が困難な状態になりました。

また同時に自衛隊の百里基地の一部を活用して開港した茨城空港へのアクセス手段としても視野に入れる様になり、旧廃線跡の一部を整備。そして2010年(平成22年)に、この専用道の開通によって「かしてつバス」も、この道を走るようになりました。現在では、石岡駅から鉾田駅・新鉾田駅を結ぶ路線バス、石岡駅から小川駅を結ぶバス、石岡駅から茨城空港を結ぶバスが、このBRTBus Rail Traisitの略)として走っているのです。

旧・四箇村駅跡辺りで専用道路から一般道路へと入りましたが、全線一般道路を走っていた頃に比べて時間は大幅に短縮されました。これからの活躍に益々期待が出来る路線です。茨城空港アクセスの際には、是非いかがでしょうか?