【懐かしの1枚!】近鉄特急12200系「スナックカー」

皆様、おはようございます。「てつきち」です。いかがお過ごしでしょうか?毎週月曜日と木曜日は「てつきちの日」でしたが、昨日は取材のためお休みをいただき、今朝お送りいたします。

さて本日も、懐かしの画像から1枚。今日の1枚は、1988年(昭和63年)に中学の修学旅行で伊勢・奈良・京都を旅した時、近鉄名古屋から宇治山田まで乗った近鉄特急12200系「スナックカー」の写真です。

この時乗車したのが、近鉄名古屋11:10発の特急鳥羽行き。途中主要駅停車のいわゆる「乙特急」でした。当時の近鉄名古屋駅発の近鉄特急は、毎時00分が大阪難波行きのいわゆる「名阪ノンストップ特急(甲特急)」、10分と45分が鳥羽行きの「名伊乙特急」、25分が賢島行きの「名伊甲特急(宇治山田までノンストップ)、30分が大阪上本町もしくは難波行きの「名阪乙特急」でした。

この頃の近鉄特急では、オルゴール式チャイムが鳴ると同時にスチュワーデス(車内販売員)さんが、熱いおしぼりを各座席に配っていたものでした。今回の鳥羽行き特急でも、名古屋駅を出て地上線に出た時、ちゃんと熱いおしぼりが各座席に配られていました。

この「熱いおしぼりサービス」も、合理化のためいつしか無くなってしまったのは残念な話です。

ではこの12200系「スナックカー」とは、どんな車両なのでしょうか?
その初期車である12000系は1967年(昭和42年)に、名阪特急用として製造されました。この当時、近鉄特急の「名阪ノンストップ特急」は、開通したばかりの東海道新幹線に乗客を取られて苦戦していました。

そのため車内で快適なサービスを、という事で座席はグリーン車並みのリクライニングシートを採用、モ12000形の運転台後部には電子レンジを装備したスナックコーナーが設けられました。ここではカレーライスや中華ランチなどの軽食を電子レンジで調理して、各座席へシートサービスするものでした。担当が名古屋都ホテル(現在はありません)担当だったので、「みやこコーナー」の別名もありました。

このスナックコーナーは好評で、1969年(昭和44年)には増備車の12200系と、車両限界の関係で大型車が入線できなかった京都線系統専用の18400系が登場しました。京都線系統専用の18400系は従来の「スナックカー」より小さめに造られていたので「ミニスナックカー」の別名もありました。この「ミニスナックカー」は、乗車時間の長かった京都~賢島特急で使用されていました。

12200系「スナックカー」は、12000系よりスナックコーナーが大きくなり、近鉄特急の顔となりました。そして「名阪ノンストップ特急」で重点的に使用するため、10100系「二代目ビスタカー」の中間車1階部分にも小さなスナックコーナーが増設されました。

しかし華やかな時代は長くは続かず、「名阪ノンストップ特急」の利用者は落ち込むばかり。遂にはスナックコーナーは営業休止になり、スナックカウンターを撤去した車両もあった程です。

現在では、伊勢への観光特急「しまかぜ」でカフェ営業があり、本格的な食堂車の様な感じになっていますが、その元祖はこの「スナックカー」であったと言えます。

【思い出の1枚】山陽新幹線「ウエストひかり」のビュッフェ


皆様、お久しぶりです。今日は懐かしい画像から1枚。

かつて山陽新幹線の新大阪~博多間で走っていた新幹線「ウエストひかり」。6両という短い編成ながら、座席は2列―2列になり、ゆったりとした座席に取り換えられました。これは、航空路や夜行高速バス「ムーンライト」号に対抗して、乗り心地のいい列車で勝負、というJR西日本ならではの思いでした。

6両編成、という短い編成ながら中間車にはビュッフェも設けられました。従来カウンターで立ち食い型のビュッフェを大改造して、ファミレスのような座席配置にしました。ビュッフェ営業休止時には、旅のサロン的な役割をしていました。

扉側の画像を撮ってみました。デジタル式の速度計や、テレホンカード式の車内公衆電話、テレホンカードの自動販売機などに時代を感じます。この画像は1998年(平成10年)に撮影したもので、既にビュッフェの営業は行われていませんでした。

当時、東海道・山陽新幹線の食堂車や車内販売を担当していた会社には、日本食堂(後にジェイダイナー東海、と改名)、帝国ホテル、都ホテル、B.T(ビュッフェとうきょう)がありましたが、この「ウエストひかり」では、大阪の大手給食会社・丸玉食品(現在のマルタマフーズ)「M-Rest」として、1往復のみ担当しました。

「M-Rest」が担当していた時のビュッフェメニューです。新大阪駅を早朝に出発する列車だったので、モーニングセットがメニューにありますね。利用した方の話によれば、カレーライスが特に美味だったとか。

この「ウエストひかり」は好評で、後には12両編成にまで増強され、車内で映画が楽しめる「シネマカー」まで連結されたこともありました。しかし車両の老朽化や、「のぞみ」号の増発に伴って「ウエストひかり」は廃止。今となっては思い出の列車となりました。

小田急ロマンスカー「走る喫茶室」が限定で復活!


新宿から箱根や江の島、御殿場へと走っている小田急ロマンスカー。1949年(昭和24年)の1910形ロマンスカーデビューから、はや68年。

特に今年2017年は、小田急ロマンスカーを代表する名車・3000形SE(Super Express)車がデビューして60周年、ということでこの7月に様々なイベントが行われました。

その中で7月6日と7日、箱根特急の一部列車で昔懐かしい「走る喫茶室」の営業が再開され、ロマンスカーアテンダントさんが当時の制服で乗務し、さらに当時の人気メニューも販売、という嬉しい内容!

さっそく、箱根湯本駅から新宿駅まで小田急ロマンスカーの旅を楽しんできました。

箱根湯本駅に勢ぞろいしたロマンスカーアテンダントさんです。
 


こちらは、当時「走る喫茶室」の営業を担当していた日東紅茶、森永エンゼルの制服を着たアテンダントさんです。左側の紺色の制服が日東紅茶、右側の白い制服が森永エンゼルの制服です。

小田急ロマンスカー「走る喫茶室」の歴史は古く、1949年(昭和24年)の1910形ロマンスカーデビューの際、中間車サハ1960形の車内に喫茶カウンターを設け、日東紅茶による紅茶のシートサービスを始めたのが最初です。当時は電熱コンロなんて言うものはありませんでしたから、紅茶を沸かすためのお湯は、何と練炭コンロを使用していたといいます。

その後、1951年(昭和26年)デビューの1700形ロマンスカー、1955年(昭和30年)デビューの2300形ロマンスカーにも喫茶カウンターが設けられ、小田急ロマンスカーと言えば「走る喫茶室」とまで言われるようになりました。

1963年(昭和38年)の3100形ロマンスカーNSE(New Super Express)車デビューの時から森永エンゼルも加わり、2社体制で喫茶営業が行われてきました。

しかし、運転形態の見直しや旅客ニーズの変化から車内販売営業の形態も変わり、1993年(平成5年)には日東紅茶が、1995年(平成7年)には森永エンゼルが撤退し、シートサービスも姿を消しました。

2005年(平成17年)にデビューした50000形ロマンスカーVSE(Vault Super Express)車では、久しぶりにシートサービスが再開されましたが、これも合理化のためワゴン販売形態になってしまいました。

今回は、3000形SE(Super Express)車がデビューして60周年ということで、「走る喫茶室」のシートサービスが復活!果たして、どんな内容なのでしょうか。


その限定メニューは、森永エンゼル担当便で人気のあった「森永プリンとアイスココア」でした!800円で、ココアのグラスは記念に持ち帰ることが出来ました。森永プリンは、町中のコンビニで売っているものと同じですが、ロマンスカーの展望席で食べると、味わいもひとしおでした。ココアも、キンキンに氷が入って冷え冷え。夏に相応しい味でした。

惜しむらくは、日東紅茶担当便で人気のあった「クールケーキ(アイスクリームをカステラで巻いたロールケーキ」がなかったことでしょうか。この「クールケーキ」と月替わりのフルーツティーが、日東紅茶担当便での何よりもの楽しみだっただけに、これも是非復活してほしかったな!

町中の喫茶店とはまたひとあじ違った雰囲気で、展望席でのティータイムを楽しみ、新宿駅到着です。


新宿駅での50000形VSE車とアテンダントさんです。やはり小田急ロマンスカーと言えば、「走る喫茶室」のシートサービス。また、何かの機会で復活してもらいたいものです。