【鉄道スケッチ】頑張れ、長野電鉄の「マッコウクジラ」!

皆様、おはようございます。「てつきち」です。毎週月曜日と木曜日は「てつきちの日」。いかがお過ごしでしょうか?

今日も前回同様、長野電鉄から話題をお届けします。今回ご紹介しますのが、長野電鉄3500系(2両編成)、3600系(3両編成)です。こちらは元営団地下鉄日比谷線で活躍していた車両で、今でも通勤通学輸送の第一線で活躍しています。

1981年(昭和56年)に長野市内の地下線(長野~市役所前間)が開業した時、従来から走っていた旧型電車を屋代線へ回して、元・東急の「アカガエル」5000系を2500系にして、通勤用の主力で活躍させました。

その後、2500系電車が老朽化などで引退して入線したのが、元・営団地下鉄日比谷線の3500系(2両編成)、3600系(3両編成)です。

この後に長野電鉄入りした、元東急の8500系はブレーキの関係で信州中野〜湯田中間を走れないため、全線に渡り活躍しています。

須坂駅に留置してある編成です。長野電鉄に入線した編成には、窓下に、赤帯が巻かれていますがら、こちらは元の姿に戻されていました。

さて長らく活躍してきた、この長野電鉄3500系も同じ東京メトロ日比谷線から後継車として03系が入線してきました。本来でしたら、間もなく交代の儀式となりますが、コロナの影響で2022年を目処に3500系、通称「マッコウクジラ」は引退だそうです。

ちなみに一足先に現役を引退した第1編成は東京メトロへの里帰りを果たし、現在では日比谷線時代の姿に復元されて綾瀬の車両基地で保管されています。こちらはイベントの時などに公開されており、懐かしい行先の方向幕も出ます。

コロナ収束後には、是非長野への撮影はいかがでしょうか?

※この情報は、緊急事態宣言以前に歩いて調べたものです。そのため、現在では緊急事態宣言を受けて営業休止や閉鎖になっている場合もありますので、宣言解除後のご来訪の折は最新の情報を確認されます様、よろしくお願いいたします。

【首都圏特急のOBに再会!】長野電鉄の電車が、今面白い!

皆様こんばんは、「てつきち」です!いかがお過ごしでしょうか?ペースが乗ってきましたので、このページも毎週月曜日と木曜日に定期更新していこうと思います。

今日の1枚は長野電鉄(長野~湯田中間)から。ここ長野電鉄で活躍している1000系「ゆけむり」。こちらは見てみると、元・小田急ロマンスカーの10000形「HiSE」車です。長野電鉄では11両編成を4両に短縮し、窓周りのワインレッドを赤い「りんごレッド」塗り替えて活躍しています。

小田急時代は全車指定席でしたが、長野電鉄では特急料金さえ払えば自由席。そのため、展望席の所には早くから行列が出来ています。また季節運転のイベント列車「ワイン列車」などにも使用されています。

現在では車内放送が自動化されているので聞けなくなりましたが、かつては車掌さんによるその駅ならではの到着案内放送が流れていました。例えば須坂駅なら、
「次は『蔵の町』須坂でございます。本日のご乗車、誠にありがとうございました。」

小布施駅なら、
「次は『栗と北斎の町』小布施でございます。本日のご乗車、誠にありがとうございました。」

信州中野駅なら、
「次は『土人形の町』信州中野でございます。本日のご乗車、誠にありがとうございました。」と駅ごとに特徴あるアナウンスでした。

この面構えは、かつてJR東日本で「成田エクスプレス」として活躍していた253系ですね。引退後はこの様に2編成が長野電鉄へ移籍して2100系となり、地獄谷の猿から「スノーモンキー」の愛称もつけられました。

こちらも特急なので、乗車の際には特急券が必要です。また湯田中寄り先頭車にある、かつてのグリーン個室は「スパサルーン」として、別途個室料金がかかり、事前予約はできず車内で先着順に購入だそうです。

小布施駅に保存されている、大先輩2000系「りんご特急」と並んだところを撮影してみました。

それではここで、2000系特急電車についても簡単に触れておきましょう。この2000系特急電車は、志賀高原への観光輸送を視野に入れて1957年(昭和32年)から1964年(昭和39年)にかけてA編成からD編成まで3両固定編成4本が日本車輌で製造されました。車内にはゆったりとした回転式クロスシート(戸袋窓部はロングシート)が採用され、C編成には当時としては珍しかった車内ラジオや、音楽を流すためのテープレコーダーも装備されていたデラックス特急電車でした。

また長野電鉄では、その年に入社した女子社員から背の高い数名を選抜して「特急ガール」という名前でキャビンアテンダントとして乗務させ、車内改札(当時は座席指定制度が取られていました)や観光案内などの業務も行っていました。

最初は阪急電車の様なマルーンに白帯でしたが、1964年(昭和39年)に登場したD編成は、マルーンとクリームの金太郎塗りになり、その風体から「栗まんじゅう」のあだ名が付きました。

長年、志賀高原や木島平への特急電車として活躍してきた2000系特急電車も、後継車である1000系「ゆけむり」が小田急電鉄より入線すると、段々と一線を退くようになりました。そして2011年(平成23年)にJR東日本で「成田エクスプレス」として活躍していた253系が2100系「スノーモンキー」として運用を開始すると引退し、2012年(平成24年)にイベント用として最後まで残っていたD編成が引退すると、長野電鉄からは姿を消したのでした。

そしてD編成のみが現在でも、小布施駅構内に屋根付きで保存されており、日中は車内を見学することも出来ます。また登場時の「マルーン塗装」に復元されたA編成は、屋代線(2012年3月31日全線廃止)の信濃川田駅構内に、保存を前提として留置されていましたが、やがて荒れ果ててしまい、惜しくも先日解体されてしまいました。

そして、長野電鉄の特急を語る上でもう一つ忘れてはいけない列車があります!

それは上野発湯田中行きの急行「志賀」号です!長野行の急行「信州」号に連結されて上野駅を出発。最初はキハ57形気動車で運転されていましたが、後に電化されて169系電車で信濃路を走りだしました。碓氷峠を越えて、屋代で「信州」号と切り離されて長野電鉄屋代線へ。

長野電鉄内では「特急」扱いとなり、松代・須坂・小布施・信州中野に停車して湯田中まで走りました。この急行「志賀」号は、1982年(昭和57年)のダイヤ改正で廃止されました。

現在、上信越自動車道の横川サービスエリア上り線には「峠の釜めし」でお馴染みのおぎのやが出店し、イートインコーナーにはかつてのキハ58形気動車のカットモデルがあります。サボが急行「志賀」になっているのが嬉しいですね!

コロナが収束したら、是非小布施や志賀高原の旅に長野電鉄の特急電車はいかがでしょうか?都会で逢えた懐かしい電車達に再会できますよ!

※この情報は、緊急事態宣言以前に歩いて調べたものです。そのため、現在では緊急事態宣言を受けて営業休止や閉鎖になっている場合もありますので、宣言解除後のご来訪の折は最新の情報を確認されます様、よろしくお願いいたします。

【懐かしの1枚】旧塗装時代の松本電鉄バス(1993年撮影)

皆様、こんばんは。「てつきち」です。今日の関東地方は蒸し暑い1日でしたが、皆様のところではいかがでしたでしょうか?

今日も懐かしい画像から1枚。1993年(平成5年)に上高地で撮影した松本電鉄バスです。今では「アルピコ交通」と改名し、バスもクリーム色にストライプカラーの「Highland Shuttle」になってしまいました。

この当時私はGWの間だけの期間限定でしたが、松本電鉄バス新島々営業所でアルバイト車掌をしていました。毎朝3時半から4時起きで始発の新島々バスターミナル発上高地行きに乗務したり、マイカー規制のための駐車場がある沢渡(さわんど)地区からのシャトルバスに乗務したりしていました。

この頃バスの塗装は、クリーム色にストライプカラーの「Highland Shuttle」に移行しつつありましたが、一部の増発便や沢渡ピストン線(沢渡大橋~中の湯~大正池~上高地)では、この赤と青とクリーム色の「松電カラー」のバスがまだ健在でした。

後で調べたところ、このバス(いすゞBU10)は、1973年(昭和48年)前後にデビューし、長らく松本平や上高地、白馬地区などを走り抜いていました。かなりの年季が入ったバスでしたが、出す馬力は相当のもので山道坂道何のその、山岳路線は任せてくれ、と言わんばかりのバスでした。

後にこの塗装のバスが引退するときには「さようなら旧デザインバス」という記念乗車券が発売された(私も勿論、買いました!)もので、近年には松本営業所のバスが1台、この塗装に復元されて走ったほど松本市民には馴染みのある塗装でした。

1998年(平成10年)に上高地の道路が整備され、同時に数年前に安房トンネルも開業したことから、上高地本線(松本バスターミナル~新島々バスターミナル~沢渡~中の湯~大正池~上高地)と平湯線(上高地~中の湯~平湯温泉)が車掌の乗らないワンマンカーになり、現在「ツーマン路線(車掌が乗務する路線)として残るのは、白骨温泉線と乗鞍岳線、白休線(乗鞍高原~白骨温泉~上高地)のみとなりました。

今となっては思い出となったこの塗装のバスですが、私「てつきち」にとっては青春そのものでした。

この秋、久しぶりに上高地を訪れてみようかな・・・・。