【今はバス専業】東濃鉄道の由来は何でしょう?



皆様、おはようございます。「てつきち」です。この週末はまた台風。かなり強いと聞いてますが、大事にならないといいですね。

今日の一枚は、新宿で撮影した東濃鉄道の高速バス「中央ライナー可児号」です。東濃地方の中心地である可児、多治見と新宿の間を中央高速経由で結んでいます。

さて鉄道線もないのに「東濃鉄道」というのは何故なのでしょうか?その謎を紐解くには戦時中まで歴史を遡る必要があります。

1944年(昭和19年)3月1日、駄知線の前身である駄知鉄道、笠原線の前身である笠原鉄道など6社が合併し、東濃鉄道株式会社を設立。同日より笠原線(多治見駅~笠原駅4.9km)および駄知線(土岐津~東駄知駅10.4km)の鉄道事業と周辺地域における乗合バス事業を開始したものです。

笠原線、駄知線とも陶磁器の生産地を控えていたこともあって、陶磁器の輸送も担っていました。後に駄知線は電化され、電車が走るようになりましたが、昭和40年代になりますと陶磁器の輸送もトラックに取って代わられるようになりました。

そんな中で1971年(昭和46年)、笠原線の旅客営業を中止。1972年(昭和47年)7月13日には駄知線の土岐市駅~神明口駅間の土岐川鉄橋が流失。資金の不足のため復旧が困難なことから駄知線は営業休止となり、そのまま1974年(昭和49年)に全線が廃止されました。

1978年(昭和53年)11月1日には、最後まで残っていた笠原線の貨物輸送も廃止となり、東濃鉄道は鉄道事業から撤退したのです。

笠原線の廃線跡は、現在は「陶彩の径」というサイクリングコースになっています。桜の名所とも聞いていますので、桜シーズンには是非歩いてみたいものです。